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3-9 棄てられた存在 [スパイラル第3部 スパイラル]

3-9 捨てられた存在
駐車場に車を止め、玄関へ向かう。
玄関前に、少し小太りの中年女性が立っている。
「小林です。」と挨拶すると、その女性が深々と頭を下げた。
「遠藤志乃です。申し訳ありません・・このたびは、母ハナのわがままをお聞き届けいただいて・・・・さあ、こちらです。」
玄関から両脇に長い廊下が続いている。
昭和初期に建てられたのだろう、白い塗装の施された木造のしっかりした壁や床は綺麗に磨かれていて、ただ静かさだけが強く感じられた。
遠藤志乃の案内に従い、一番奥の部屋へ入った。
広い窓が開放され、そこから静かな湖面が見える。
窓際にはベッドがひとつ。上半身を起こした状態で、白髪の女性が外を眺め座っていた。
「母です。・・・数年前から認知症が出始め、最近はめっきり記憶があいまいになってきました。まともにお話できるかどうか・・・。」
小さな声で純一たちに言うと、すぐに向きを変えて大きな声でゆっくりと話しかける。
「・・・ねえ、お母さん・・・・・お客様が・・・いらしたわよ。・・ほら・・ミホさんのお知り合い・・・」
そこまで聞くと白髪の淑女が真っ直ぐに純一たちの方を向き、ゆっくりと頭を下げた。
純一たちも慌てて頭を下げた。
「初めまして・・・小林純一と申します。・・ミホの夫です。・・」
純一がそう言って自己紹介すると、その老婦人がぽろぽろと大粒の涙を零し始めた。
「そう・・・良かったわ・・・ミホさんはようやく約束の人と遭えたのね・・・・良かったわ・・・。」
突然の涙に、純一は戸惑った。老婦人の娘の遠藤女子も驚いていた。
「約束の人ってどういうことですか?」
純一が訊くと、老婦人はただぽろぽろと涙を零すばかりで、それ以上のことを口にしなかった。
「ねえ、お母さん?どういうこと?」
遠藤志乃が尋ねると、母ハナは急に眠気を感じたのか、そのまま目を閉じて横になってしまった。
「きっと母は、記憶が混沌としているんでしょう・・・ミホさんと誰かの話とか混ざって本人も良くわからないんじゃないでしょうか・・・。」
「はあ・・・。」
純一には何か引っ掛かるものがあったが当の本人が眠ってしまったのではどうしようもない。
「あちらで少しお話しましょう。」
遠藤志乃は、玄関の脇にある応接室へ案内した。
「ここは昔は子どもたちのための療養所でした。先ほどの母の部屋が一番明るくて静かな部屋で、特に高学年の女の子たちが過ごす部屋でした。昔は、随分たくさんの子どもたちがいました。私も母の後をついで、ここの看護士になったんですが・・・・。」
遠藤志乃は、そう言うと、書棚から幾つものアルバムを取り出してきた。
20人くらいの子どもが写った写真があった。三歳くらいの子どもから高校生くらいまで、どことなく皆表情が硬いように感じられた。
「ミホさんは確か・・・ああ・・・この子です。」
遠藤志乃が指差した先には、もう瞳だけがぎらぎらと大きく見える色白の女の子が写っている。身を半分隠すようにして、先ほどの老婦人、遠藤園長の腰を強く握っているようだった。
「拒食症といえば判りやすいでしょう。」
写真を見つめながら遠藤志乃は言う。
「ただ・・ミホさんの場合は、食べられないのではなく、食べないのです。」
「食べない?」
「ええ・・・強い意志を持って食べようとしないのです。だからこんなに痩せちゃって・・・。」
「何故、食べないんです?おなかが空いて我慢できる年頃じゃないでしょう?」
「そうなんです。でも・・彼女は食べないんです。」
理解できない表情の純一に、遠藤志乃は一つ深呼吸をしてから言った。
「ここには・・・そういう心に病を抱えた子どもたちが来るんです。・・・幼い時、虐待を受けた事がトラウマとなって、他人を攻撃することでしか自分を表現出来ない子どもとか・・・性的虐待を受けた事で自傷行為を繰り返す子どももいます。子どもたちの抱える心の病はすべて親や大人が原因なんです。ミホさんにも、そうなる原因があったんです・・・」
「それはどんな事なんですか?」
純一が問う。
「ここへ来たのは小学校4年生の夏でした。前にいた施設ではもはや限界だったようですね。」
遠藤志乃はそう言うと、古いノートをいくつか開いて、ミホの記録を探した。
「私の記憶では・・・確か、ミホさんは・・・・・。」
たくさんのノートには一人一人の入所者の記録が書かれているのだった。表紙にはそれぞれの名前が小さく書かれていた。
「ああ・・これですね。・・・・ミホさんは、3歳の時、公園で保護されたようですね。冬枯れの公園の中で3歳の幼子が親が迎えにくるのをじっと待っていたが、結局親は現れなかった。保護した警官は、ミホさんは公園のベンチに座って動こうとはしなかったと言っています。・・・その後、保護された施設では食事を取らなくなって・・・何度も栄養失調で点滴を打つ事態だったようですね。」
「親に見捨てられた・・・この世に不要な存在と思い込んで・・・。」
純一はふと自分自身を重ねていた。
「ええ・・おそらく・・・。」
志乃は答える。
「僕にもそういう経験があります。・・・母親を小さい時に亡くし、施設に入るまでは・・とても辛かった・・産まれてこない方がよかったと何度も考えた・・・・きっとミホも・・・。」
「ええきっとそうでしょう。でも・・・彼女はある日突然、明るくなって食事も取るようになったようです。同じ施設の年上の男の子が随分優しくしたようですね・・・・でも、その男の子が15歳で施設を離れなくてはならなくなった・・・それが再びミホさんの病を引き起こしたようです。」
そこまで聞いて純一は急に何か深い記憶の奥底にあったものを探し当てたような、ずっと深く沈めていたものが突然現れたような、独特な感覚を覚えていた。
「遠藤さん・・・・その・・・ミホが前に居た施設の名前はわかりますか?」
「ちょっとまってください・・・そうそう・・ここに・・・・確かあったはずです。」
古い記録ノートを捲りながら、遠藤が指し示したところには『児童養護施設 あけぼのの里』とあった。
純一はその名を見て、急に動悸が高鳴り、眩暈を感じた。
「大丈夫ですか、会長?」
ミサの問いかける声がぼんやりと聞き取れるほどに意識が薄らいでしまっていた。

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