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3-10 スパイラル [スパイラル第3部 スパイラル]

3-10 スパイラル

目の前に、大きな瞳で自分を見つめる少女がいる。
唇をかんで涙を堪えている。
「必ず迎えに来るから」
そう叫んで、施設の門を出ると突然の豪雨。
振り返ると、少女は雨に濡れながら身動きもせずじっと自分を見つめていた。
「すまない」
心の中でそう叫んで、少女の視線を振り切って施設を離れた。

ミホはあの少女だったんだ・・・・。
純一は20年近く封印していた記憶の欠片に戸惑っている。

純一がいた『児童養護施設あけぼのの里』にその少女が来たのは純一が8歳の時だった。

うつろな目をして、じっと部屋の中に座り動こうとしない少女。
時折、保育士がやってきて、何か話しかけるのだがまったく反応せず、押し黙ったままだった。
純一も、この頃は、部屋の隅に座り、一日中、一人で本を読んで過ごす事が多かった。
部屋の隅で、純一は動こうとしない少女が気になっていた。自分よりも悲しい目をしている。今にも消えてしまいたい、そう願っているようにも感じられた。

「これ、読むか?」
ある日、純一は自分の呼んでいた絵本をひとつミホに渡した。
ミホはちらりと絵本を見たが、受け取ろうとはしなかった。
純一はミホの足元にその絵本を置いて、部屋の隅へ戻った。
翌日、ミホは部屋の隅に蹲って、食い入るようにその絵本を見ていた。まだ、文字が読めるほどではなかった。ただ、その絵に魅入られたように、床に置いた絵本に覆いかぶさるようにしてじっと見入っていた。
「読んでやろうか?」
後ろから純一が声を掛けると、ミホは立ち上がり、絵本を純一に突き出した。
部屋の壁にもたれかかるように座ると、ミホも純一の隣に座った。

最初に読んだ本は、少女が森の動物たちがかくれんぼをするお話だった。
近道をしようと生垣に頭を突っ込んだ少女は、突然、大きな森の中へ迷い込む。そこで出会った動物たちとかくれんぼを始めるというストーリーだった。
そして、話の最後に、主人公の少女が「もういいかい?」と繰り返しているうちに、森は何処かへ消え去って住んでいた町の風景に戻っているというものだった。そこへ、少女のお母さんが「夕飯の時間よ」と迎えに来る。夕日に照らされた暖地の道に、親子の長い影法師が伸びていた。
まだ3歳ほどの少女だったミホに話の中身が理解できているかどうかはわからなかったが、最後のシーンをじっと食い入るように見ていた。

それから、毎日、施設にある絵本を片っ端から読んだ。
そうしているうちに、ミホは、次第に純一の優しさを受け入れ、終には傍を片時も離れない関係となっていた。純一も施設の中ではどこか壁を作って他人との交わりを拒む性格で、一人で居ることが多かった。純一とミホは、互いに唯一無二の存在となっていたのだった。

ある時、純一に養子縁組の話があり、立派な紳士が面接にやってきた。
その紳士こそ、純一の本当の父であった、上総敬一郎氏だった。
施設の先生や指導員は、上総へ引き取られる事を熱心に勧めてくれたが、純一は拒んだ。

時が流れ、15歳となり、純一は施設を出なければならない日がやってきた。
ミホはまだ10歳にもなっていなかった。
『必ず迎えに来るから』
純一はミホに約束した。しかし、純一にとってはこれから一人生きることさえも何も希望をもてなかった。ましてや、ミホを迎えに来ることなどとても考えられなかった。
その約束がどれほどの意味を持つのか、純一には理解できていなかった。

ミホが3歳の時、『必ず迎えに来るからここで待っているんだよ』と親から言われた言葉。
そして、それは、ミホが自身の存在を否定する決定的な体験となっていた事を純一は認識していなかった。だからこそ、純一は安易にミホに同じ言葉を発してしまった。
ミホは二つ目の十字架を背負い生きる定めとなったのである。

「会長?大丈夫ですか?」
キャンピングカーの中へ運ばれ、ベッドに横になった純一に、ミサが問いかける。
ぼんやりとした意識の中で、これまでの事を思い出し、純一は涙を流していた。

「ああ・・・なんて酷い事をしてしまったんだ・・・・。」
純一の頭の中で、幼い頃の封印していた記憶が一気に溢れ出し、同時に、ミホを傷つけた罪の意識が純一を押しつぶしそうになっていた。

純一は、思い出した記憶をミサに話して聞かせた。
「では・・・ミホさんがずっと待ち焦がれていた人は、会長だったと?」
「ああ・・きっと、そうだ。・・・だが、僕の前に現れた時、ミホにはその記憶はなかった。ようやく再会できたのに・・・・・。」
「なんてことでしょう・・・・。」
運命のいたずらという言葉では済ませない、なんとも悲しい事実だった。
ふと、ミサが思い出した。
「そういえば・・・わたしたちの居た施設にミホさんが来た時・・・一冊の絵本を持っていました。・・ええっと・・・なんという名前でしたか・・・・可愛い女の子と・・・お兄さんの話で・」
「絵本?」
「・・・もう小学校高学年にもなって、何だか不釣合いな絵本でした・・・。ええっと・・・」

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