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13 新しい暮らし [命の樹]


それから、家族四人でじっくりと話し合った。美里も数日休みを取って帰ってきたようで、転居先を見に行ったり、病院で結から哲夫の病状を詳しく訊いたり、万一の時はどういうふうに連絡を取るか、とにかく、何度も何度も話し合った。
「とにかく無理はしないでね。少しでも調子が悪くなったら、すぐに結さんに連絡してね。もう隠し事はしないでね。」
美里は、そう言いながら後ろ髪を引かれる思いで、名古屋へ戻って行った。
千波も同じ日に東京へ戻ることにした。
「私がお嫁に行くまでは元気でいてよ。」
そんなふうに言えるほど落ち着いた様子で、新幹線に乗り込んでいった。

「何だか、疲れたな。」
哲夫は千波を見送った後、ふと駅のホームで口走った。
「大丈夫?病院行く?」
加奈は少し過敏になっているようだった。
「あ・・いや、大丈夫さ。気疲れしたっていうか・・心配してくれてるのは判るんだが・・。」
「そうね、でも、あの子たち、あなたの事が大好きなのね。普段は勝手な事ばかりやってるようなのに・・やっぱり、小さい時からあなたがよく面倒みてたからかしら。」
「そうかな・・・俺は、加奈の事を気遣っているように見えたけどな。お母さんを一人にしてどうするつもりって美里は言ってたよ。千波も、お母さんが寂しがるよねってさ。」
「そう・・。」

いよいよ転居の日が来た。平日の人の少ない時を選んで、マンションを後にした。
転居先までは、車で2時間ほどだった。湖のほとりに建っている古い貸家だった。しばらく使っていなかったからと言い訳のようなことを不動産屋が言ったが、意外と綺麗だった。
そこには半年ほど住んだが、隙間風が多くて冬は結構冷えた。
『風邪をひくのが一番怖いんですよ。』
結の言葉が加奈には気がかりで仕方がなかった。
加奈は、いくつもの介護の資格を持っていて、以前の勤め先からの紹介で地元の介護専門学校の講師の職についていた。
その専門学校の理事長は随分と加奈を気に入ってくれていて、良い土地があるからそこに家を建てたらどうかと勧めてくれていた。
「ねえ・・お店をやらない?小さな喫茶店なんかどう?」
その頃、哲夫は家事や庭仕事などで暇をつぶしているような暮らしをしていた。体調もさほど悪くないが、改めて仕事に就くのは難しいと考えていた。
「喫茶店か・・・だが・・資金が・・。」
「うちの理事長の紹介で、随分安く譲ってもらえそうなの。建物だけなら、今ある貯金でなんとかなるんじゃないかしら。」
すぐに二人は土地を見に行った。岬の上の見晴らしの良い場所だった。集落からは、少し離れていて不便な感じはあったが、何よりもそこからの景色は、哲夫が18歳まで過ごした瀬戸内の漁村とよく似ていて、一目で気に入ってしまったのだった。
哲夫が会社を辞めて、ちょうど一年になる日に、新しい家が完成した。
引越しの日には、二人の娘も、手伝いに来てくれた。
引越しの片づけもほぼ終わると、一階の喫茶店にする予定の広いリビングに置かれた真っ赤なソファに哲夫と加奈はゆったりと腰かけて、リビングの前に広がる庭を眺めていた。
「この年になって家を建てるなんて考えもしなかったな。」
哲夫が言うと、加奈が答える。
「そうね・・あなたが病気にならなかったら、定年まであのマンションにいたかしら。いや、定年の後もきっとあそこにいたのよね。」
「ああ・・それはそれで良かったかもな。」
まだほんの1年ほど前の事なのに、はるか昔のような気がしていた。

厨房で料理をしていた美里と千波が料理を運んできた。
「さあ、夕飯にしましょう。」
四人で窓際の白木のテーブルに、何種類かのパスタが並べられて、楽しく夕食をとった。
「いいなあ・・ここ。私もここへ引っ越してこようかしら?」
美里が言うと、
「駄目よ。この家は私がもらうんだから。だって、お姉ちゃんは結婚するんでしょ?」
と千波が口走った。
「結婚?」
加奈と哲夫が同時に言った。
「千波!何、言ってんのよ・・まだ、ダメだって言ったじゃない。」
「どういうこと?」
加奈が訊くと、千波が答えた。
「この前、職場の先輩からプロポーズされたんだって。良いじゃない、結婚すれば、良い人なんでしょ、性格は。。」
何だか意味深な説明をした。
「まだ判らないけど・・確かに優しくて真面目で良い人よ。・・でも、ちょっと・・。」
「ジャガイモなんだって。」
千波が茶化すようなことを言った。
「ジャガイモじゃない!そりゃあ、目もちいさいし、丸っこい顔してるし・・・でも見た目じゃないわよね、お母さん。」
美里が妙なところで加奈に同意を求めた。加奈は哲夫の顔を見ながら、ほほ笑んで言った。
「そうね・・男は顔じゃないわよ。優しくなくっちゃね。」
「おいおい、そりゃ聞き捨てならないぞ!」
哲夫が加奈を睨み乍ら言った。
岬の上に建つ赤い屋根の喫茶店≪命の樹≫はこんなふうにして始まったのだった。

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