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16 夏休み 玉木屋 [命の樹]

16 夏休み 玉木屋
夏が近づいてきた。
哲夫は、保育園へパンを届けた帰り道、集落の真ん中辺りにある玉木商店に寄った。
ここは、この集落唯一の商店で、所謂よろずやであった。大抵のものはここに頼んでおくと手配してくれて、時には配達もしてくれた。
「済みません・・頼んでおいた砂糖と小麦粉は入りましたか?」
哲夫が店先で声を掛けると、奥から店主が出てきた。
背の低い丸々とした体格で、残念ながら頭頂部は完全に皮膚が露出した状態になっていた。歳は哲夫と変わらない。
「ああ。てっちゃん、入ったよ。今、もってくかい?」
「ええ。」
玉木商店の店主は若くて結婚したため、もう孫が二人いた。いったん、店の奥へ入って注文品を段ボールに入れて持ってきた。
「はい、これ。」
「ありがとうございます。いつもすみません。」
「いや、てっちゃんが来て、うちも少し儲かってるから、こっちこそ、毎度ありってことだ。」
哲夫が代金を払って、自転車の荷台に商品を括り付けていると、店主が思い出したように言った。
「そう言えば、てっちゃんのパン、評判良いらしいね。うちの孫に聞いたんだが・・皆が持って帰っているって。だけど・・ただで届けているって聞いたけど、大丈夫かい?」
「ええ・・あれは趣味みたいなものですから。」
「いや、きっと売れるよ。注文とって届けたらどうだい?」
「いや、注文なんて、気まぐれに作る方が良いですから。」
「そうかい?残念だな。うちで注文を取って、俺が届けてやってもいいんだがな。結構な商売になると思ったんだが・・・。」
「いや、それはどうでしょう?」
哲夫は、店主の根拠もない思い付きが、少し可笑しかった。
「・・・ああそうだ、実は、うちの孫たちがね、これが大好きなんだ。今度、パンを焼く時使ってみてくれないかい?」
そう言って、干しブドウの袋を哲夫に差し出した。
「ええ、良いですよ。おいくらですか?」
「いや・・代金は要らないよ。使ってみてほしいんだ。」
「そうですか・・じゃあ、いただいていきます。ありがとうございます。さっそく、来週にでも使ってみましょう。」
「そうかい・・で、さあ。その代わりといったら何だが・・・実は、もうすぐ夏休みだろ?」
哲夫は、子どもたちが大人になってしまっていたので、夏休みの時期など当に忘れてしまっていた。
「ああ、そうなんですね。」
「でな、夏休みには、ほら、姫ヶ浦の海開きだろ。」
哲夫は店主が何を言いたいのかいまいちわからない表情をしていた。
「そこで、毎年、海の家を開いてるんだよ。」
店主の言うとおり、岬の途中、神社へ通じる道路の脇から先に、夏になると海水浴場が開くのだった。臨時駐車場も出来て、意外に遠方からも客が訪れる海水浴場なのだった。
「だが、今年は、女房が腰を悪くしちまって、たぶん、仕事にならないんだ。そこで、少しさ、てっちゃんに手伝ってもらえないかなと思ってるんだが・・・。」
「いや・・それは・・。」
「てっちゃんのパンを並べるだけでもいいんだよ。できれば、昼時にはサンドイッチとかジュースとかも出してくれるとありがたいんだが・・。」
「はあ・・。」
「いや、土日だけでも良いんだ。平日は人も少ないし、それに、結構な儲けにもなるんだ。頼むよ。」
店主は人懐っこい笑顔で哲夫に懇願した。
「一度、加奈とも相談してみます。店の事もあるし、中途半端なこともできないんで・・。」
哲夫はとりあえずの返事をして、家に戻った。
誰かの役に立つ、頼まれるのは嬉しい事だった。ただ、真夏の海の家の仕事は、体力的にはかなり厳しいだろう。加奈に相談すれば必ず反対されるに決まっていた。

夕方、加奈が仕事から戻ると、哲夫はできるだけ加奈の機嫌を取るようにした。そして、夕食の時間に、昼間の玉木屋からの依頼を恐るおそる口にした。

「ふうん・・・!」
加奈は、夕食のパスタを口に運びながら、意外にも、穏やかな反応をした。
「いいかな?」
哲夫は、遠慮がちに訊いた。
「体の具合はどうなの?」
「ああ・・今のところは特には・・のんびりやってるからね。」
「そう・・。」
「毎日薬もちゃんと飲んでるし、ほんの少しなら、大丈夫じゃないかな?」
「そうね。玉木屋さんにはいつもお世話になっているし、奥様の具合が悪いんじゃねえ。」
「そうだろ?町の人とも少しお付き合いもしなくちゃいけないだろうし・・・」
「わかったわ。じゃあ土日の3時間だけよ。」
「いいのかい?」
哲夫は加奈の許しが出るとは思っていなかった。
「ただし、条件が一つ。私も一緒にいく。それが条件。」
「一緒に?」
「ええ、そうよ。楽しそうじゃない。海の家って、昔からやってみたかったのよ。」

加奈の許しが出て、哲夫は翌日には玉木屋に報告に言った。
「そうかい!じゃあ、材料は用意してやるよ。必要なものを言ってくれ。・・来週には、海の家の準備が始まるから、顔を出してくれ。」
話が決まると、町中の人にすぐに知れ渡った。
哲夫が喫茶店を始めた時、一応、あいさつには回ったが、よそ者とみられて、余り良い反応はなかった。だが、保育園にパンを届けるようになってからは少しずつだが、哲夫の店に興味を持っている人も増えてきた。そんな時に海の家の手伝いとなり、町の一員になれたような気がしていた。

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