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18 水上医院 [命の樹]

18 水上医院
≪おじさんに何かあったの?≫
受話器の向こうから、結の慌てた声が聞こえる。
「いいえ・・哲夫さんじゃないの・・。」
加奈は前置きしてから、状況を伝えた。
≪それなら、そのまま傷口を強く抑えていて。・・・姫ケ浦よね。・・近藤というお宅が周遊道路沿いにあるわ。そこから山手の方へあがる道があるの。ええっと、確か3軒目に、村上という家があるわ。そこへ運んでください。私もすぐに行きます。大丈夫、私はオートバイだから。そうね、10分ほどで着くと思うから。≫
水上結は細かい案内をしてくれた。
加奈は結の話を哲夫に伝えた。
「よくわからないけど、とにかくそこへ運ぼう。・・お父さん、さあ。」
哲夫は、女の子を父親に抱かせた。額に置いたタオルはもう真っ赤になっていた。手元にあったタオルと交換して、傷口を押えた。加奈は母親を抱きかかえるようにして、指定された村上という家をめざした。
玉木屋の店主が加奈の話を聞いて、はっと思い出したように言った。
「そこは昔、村上医院があったところだ。もうずいぶん昔に、大先生が亡くなって閉院したはずだが。」
「とにかく、そこへ行きましょう。」
哲夫は玉木屋の店主に先導を頼んで向かった。通りをすすんで。周遊道路に出る手前に近藤というお宅はあった。結の言った通り、山手に進むと白い外観の建物が見えた。しかし、入口には工事用もフェンスが張り巡らされていて、入口が見つからなかった。
そこへ大型オートバイを走らせて結が到着した。へルメットを取り、すぐに、子どもの傷口を診た。
「深くないわね。大丈夫。さあ、中へ。」
結はジャンパーのポケットから鍵を取り出して、フェンスを開け中へ入った。建物は改築中のようだった。玄関を開けると、診察室という看板がかかった部屋に子どもを運び入れた。
「タオルを外してもかまいません。もう出血もほとんど止まっていますから。」
結は、診察室の奥の控室に入ると、白衣に着替えて出てきた。そして、ベッドに寝かされたこどもの傷口を消毒し、ピンセットで傷の中を丹念に調べた。そして、5センチほどの四角いテープを取り出して、傷口に貼り付けた。見事な手際だった。
「とりあえずの応急処置をしておきました。まあ、少し痕は残るかもしれませんが、大丈夫でしょう。・・落ちたショックが大きかったから、ちょっと気を失っただけですよ。命に別条はありませんが、大きな病院でしっかり診察を受けてくださいね。」
結は笑顔を見せて、子どもの母親に言った。
母親は安心してその場に座り込んでしまった。すぐに、怪我をした子どもが目を覚ました。
「お母さん・・お父さん・・。」
「気が付いた?びっくりしたよね。どこか痛くない?」
結が訊くと、子どもはぼんやりとした表情で「痛くない」と言った。
「そう・・もう大丈夫よ。ちょっとおでこに怪我をしてるから、しばらくは痛いかもしれないけど、すぐに良くなるわ。さあ、お父さんとお母さんと一緒に、帰っていいわよ。」
両親と子どもは何度も何度も頭を下げて、その場を後にした。
その場には、哲夫と加奈、そして結が残った。海の家の片づけはやっておくからと、玉木屋の店主も戻って行った。
「びっくりしたわ。」
結が言った。
「ごめんなさいね。でも、結ちゃんくらいしか、思い当たらなくて・・。」
加奈が答えると、
「おじさん、海の家の手伝いをしているんですって?無理しないでってお願いしたでしょう?」
結は少し咎めるような口調で言った。
「嫌・・それほど無理はしてないよ。加奈も一緒だし・・ほんの3時間ほどなんだ。それより、ここはいったい?」
哲夫は部屋を見回しながら訊いた。
「ああ・・ここはね・・。」
結はちょっと考えてから言った。
「ここに開院しようと思って。母の実家の近くで、良い場所はないかなって、探してたら、ここが見つかって。昔、病院があったようで、少し改築すれば使えるって言うんで、もうすぐ開院の予定です。」
「大学病院は?」
「慰留するようには言われているんですけど・・ほら、ここらには病院がなくて困っている人も多いでしょう。せっかくなら、人の役に立てるって実感できる場所が良いかなって。」
「そうなの。大学病院の先進医療の研究も充分人の役に立てる仕事だと思うけど。」
加奈が言った。
「・・あそこにはドクターはたくさんいますし、若い人が頑張って勉強するところなんです。私くらいの年齢になると、いろいろと難しいんですよ。」
「ふーん、そんなものなの。」
「そうなんですよ。」
結はまだ30前半である。本来なら、これからが重要な時期に違いない。
加奈は、結が哲夫のためにここに病院を作ろうとしているのだろうと思っていた。
結は、哲夫たちが浜名湖のほとりに転居すると同時に、市民病院から浜松の大学病院へ転職した。その時には、先進医療の研究のためだと言っていた。
そして今度は、近くに病院を開くというのだから、それ以外の理由はないと確信していた。
「結ちゃん、ありがとう。ほんとにありがとう。」
加奈は結の思いに思わず涙ぐんでしまった。結も加奈の言いたいことがわかって、涙ぐんでいる。
医院の中を見回っていた哲夫が、隣の治療室になる予定の部屋から妙に大きな声を出した。
「すごいなあ・・結ちゃんは。このあたりの人はきっと喜ぶよ。さっきだって、救急車がすぐに来れないっていうんだ。・・お年寄りも多いし、少しぐらいの病気じゃ、大学病院へは行きづらいって言ってたしね。すごいよ、結ちゃん。大したもんだよ。」
哲夫はノー天気に結の開院を喜んでいるように見えた。しかし、そこには先進医療で使うような高価な器具が並んでいて、それが自分が万一の時に必要と考えて結が揃えたものだと哲夫には分かった。
「そうでしょう?おじさん。すごいでしょう?」
「ああ、すごい。きっとお母さんも喜んでいるだろう。」
「ええ・・母にも、ここで働いてもらうんです。もう高齢ですけど、看護師としては優秀ですから。」
「いいじゃないか。じゃあ。ここに一緒に住むんだろ?そりゃ、お母さんも喜んでくれるに違いない。」
「はい。母も喜んでいました。・・ホントに、おじさんのおかげです。」
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