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19 結の告白 [命の樹]

19 結の告白
その時、隣室で、ガチャンと何かが落ちる音がした。結と加奈は驚いて、すぐに隣室に向かった。ドアを開けると、哲夫がベッドにもたれる様に座り込んでいた。
「おじさん!」「哲夫さん!」
ほとんど同時に、二人は、哲夫に駆け寄った。
「ああ。大丈夫だ。ちょっとよそ見をしていて器具に躓いただけだ。ごめん、ごめん。」
哲夫はそう言ったが、顔は真っ青で、呼吸も乱れている。額に手を当てると微熱があるようだった。
「おじさん、ここに横になって。」
結は、そう言うと、まだ開封されていない医療器具の箱を開け始めた。
加奈も結の指示でいくつもの器具を用意した。用意しながら、この病院に入っている医療器具のほとんどが、哲夫の病気のためであることは自然に判ってきた。
検査が始まると、加奈はいったん治療室から出された。1時間ほど、検査と処置が行われた。
「加奈さん、もう大丈夫よ。」
治療室から結が出てきた。
「疲れのようね。微熱があって、少し呼吸も苦しそう。今、点滴をしています。」
「ありがとう。良かった・・。」
「ほんと、良かった。」
二人はしばらく沈黙した。
沈黙を破ったのは、加奈だった。
「ねえ、結ちゃんは結婚しないの?」
結は少し躊躇いがちに答えた。
「え・・あ、お話していませんでしたっけ?私、結婚してたんですよ。」
「え?知らなかったわ。ちゃんと、知らせてくれなきゃ。お祝いもしてないなんて・・。」
「いえ、いいんです。・・・ちょうど、医師になって市民病院に勤務し始めて1年ほどで、彼は、同じ市民病院の医師でした。でも、半年で離婚しました。」
「離婚?」
「ええ。結婚してすぐ私は救急医療の現場へ、彼は海外の医療チームへしばらく行くことになって、すれ違いが多くなったというか・・ほとんど結婚生活になっていませんでした。・・他にもいろいろ理由があったと思いますが、とにかく、二人で暮らす理由が見つからなかったんです。」
「そう・・。」
「母は、随分反対しました。」
「でしょうね。」
加奈は、どう言えばいいか、言葉が見つからなかった。
「本当のことを言うとね・・。」
結が少し笑みを浮かべて加奈に言った。
「彼は、私の理想の男性じゃなかったんです。」
「理想の男性?・・そんな、理想の男性なんてそうそう現れたりしないものでしょう?」
加奈は、結の言葉があまりに少女っぽくて、呆れたように言い返した。
「そう、理想は理想。・・でも、もし、目の前に理想の男性が現れたとしたら、どうします?」
加奈は答えに困って言った。
「理想の男性なんて、いるのかしら?」
結はしばらく沈黙し、そして、決意したような表情を浮かべ、加奈を真っ直ぐに見て言った。
「私の理想の男性は、おじさんなんです。」
「え?」
加奈は、結の告白を驚いたような表情で反応した。しかし、以前から、加奈は結の気持ちを疑っていた。高校生の頃には、まだ、哲夫を亡くなった父親と重ねて見ているのだろうと思っていたが、大学進学後に、時折、顔を見せた結に、何か若さへの嫉妬のようなものを感じ、哲夫を見る結のまなざしにも不安を感じていた。若さゆえに何をするかわからない、時にそんな不安も感じていたのだった。
「高校生の時、あの時、おじさんは私を命をかけて守ってくださいました。大学進学のときも、医師免許を取る時も、優しく背中を押してくださって・・・。」
「それは・・お父さんみたいなものってことでしょう?」
「最初はそう思おうとしました。だから、《おじさん》と呼ぶことにしました。高校生でしたから・・自分でもきっと錯覚している、父への想いをおじさんに重ねている、そう思う事にしたんです。」
「違った・・の?」
「医師になり、忙しくてなかなかお宅へ伺えなくなってから、一層、おじさんに遭いたいって思うようになって・・寂しくて寂しくて・・恋しいって初めて感じたんです。」
結の口から《恋しい》と言うことばが出て、加奈は少し冷静ではいられなくなっていた。
「結婚を決めたのも、自分の想いを断ち切るためだったかもしれません。でも、結局、長くは続かなかった・・・。やっぱり、おじさんへの想いを断ち切ることが出来ませんでした。」
加奈は、判らなくなっていた。これまで、結に対しては、時には母親のように叱り、時には姉のように相談に乗ってきた。今、こうして結の告白をどういう立場で受け止めればよいのか、哲夫の妻としてならば、断じて認めることなど出来ない。
「おじさんが救急車で病院へ運ばれた時、息が止まるほど驚きました。たぶん、周りに居た看護士も、普段見せないうろたえぶりにびっくりしたはずです。私は、医師としてではなく、一人の女として、この人を守りたい、助けたいって強く思ったんです。」
「そうなの・・。」
「でも、あの日、そう、告知の日、加奈さんとおじさんが寄り添う姿を見て判ったんです。おじさんは加奈さんと一緒にいるから幸せで、おじさんであるのだと。自分の気持ちなど、お二人の間に入り込む隙もないって判ったんです。」
「そんな想いを抱えていたなんて・・・。」
加奈は、結の強い想いを聞き、改めて出会いから今日までの日々を思い出していた。
「それで・・・おじさんのために自分に出来る事は何かって考えて・・・。」
「浜松の大学病院に転職したのも、この病院も、そうなのね?」
「ええ・・ここなら、おじさんが急変してもすぐに対応できますし、お二人の幸せな様子も知る事が出来ます。これが私の出した答えなんです。」
「そうなの・・・。」
結は、加奈が戸惑っている事を察知した。
「加奈さん、私はおじさんを奪おうという気持ちはありません。きっと、おじさんもそれは望まないでしょう。ただ、最後の日が来るまで、どうか、近くに居させてください。お願いします。」
「結ちゃん・・・。」
加奈は、結の哲夫に対する真っ直ぐな想いを認めるしかなかった。

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