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1.4 鳰の浜 [アスカケ外伝 第3部]

鳰の浜に建ち並ぶ館は、皆、奇妙なつくりをしていた。湖畔に石が組まれていて、その上に建っている。更に、その土台となっている石には船が入れるほどの間口の通路があった。巨椋池のムロヤの館に似ているが、さらにその規模が大きく、積まれた石も大きかった。
船はゆっくりと、館の下に開かれた通路に入っていく。奥まで着くと、そこから階段で上がっていく。階段というより梯子に近く、船の位置からはかなり高くまで登らなくてはいけなかった。ようやく昇り切ったところに、ミワの父ナオリが待っていた。
「このようなところにヤマトの皇子タケル様においでくださるとは、何と有難い事。さあ、どうぞ、こちらへ。」
ナオリはそう言って、湖から見えた高い館へ案内した。郡主の館にしては質素で、隣りの館とさほど変わらない。
「此度は、淡海の国や越の国を視察されるとお聞きしておりますが・・。」
外の風景に見惚れているタケルたちに、淡海の国、志賀郡(しかのこおり)の主ナオリが切り出した。
「実のところ、出雲の国の異変を知り、その事実を見極めるために参りました。古来より、出雲は神々を敬う穏やかな国、そこでの異変とは俄かには、信じがたく、起きている事を具に見て参りたいのです。」
タケルが答える。
「それは我らも同じです。淡海は、産物を行き来させることを生業として暮らしている者が多く、このままでは、淡海も乱れてしまいます。」
ナオリが言う。

この頃の淡海の国、琵琶湖は今よりもずっと水量が多く、湖東地域は、伊吹山の麓を除いて、大半が葦の原と沼地であった。安土山や八幡山は湖に浮かぶ島であった。湖西地域も、比叡山の麓辺りまで水辺となっていて、その北の地域もほとんどが葦の原だった。琵琶湖の周囲では、もっとも北の大浦や菅浦といった郷の他には、鳰の浜同様に石積みで陸地を広げた海津があった。琵琶湖は、春から夏にかけて人の背丈以上に水嵩が増え、人々は、湖畔に暮らすことができず、山際に郷を作るか、鳰の浜のように大きな石組をして土地を広げるほかないのであった。

「淡海の国は、その名の通り、淡海の湖が全てなのです。湖の低地はほとんどが葦の原が広がる沼地です。魚は捕れますが、米は作れません。」
ナオリが続けた。
「これほどに水があるのに、米が作れないとは・・」
とタケルが言う。
「淡海の湖には、四方から多くの川が流れ込んでおります。しかし、流れ出るのは瀬多の川のみ。毎年のように、背丈ほどまでに水が増えて、田を作ろうとしても無理なのです。湖の周囲の平地はほとんどが葦の原の広がる沼地になっております。」
ミワの説明を聞き、目の前の美しい景色が少し違って見えた。
「それほどまでに水嵩が変わるのですか?」
そう言ったのは、ナミヒコだった。
海の水位が変化する事は難波津に居て知っていたが、池や湖がそれほど変わるとは思っていなかった。まして、これほど大きい湖である。多少の雨や雪解け水でも変わるとは思えなかった。
「湖から流れ出る、瀬多の川は、名の通り、岩場や瀬が多く、川幅も狭いため、一旦水が増え始めると、突然のごとく、濁流となり、両岸を削り、削られた岩が流れを塞ぎ、さらに岩場が増える有り様なのです。」
話を聞いて、皆、船から上がるあの高い梯子を思い出した。
「多い時は背丈を越えるほどになります。」
「それであの梯子のような・・」とタケルが言うと、
「はい。山裾に住む者も居りますが、水運が多くなり、このようなところに住み始め、水嵩が増える事も考え、このような館を設えました。」
と、ナオリが答えた。
「開削はできないのですか?」
タケルは、アスカケの話の中で、カケルたちが難波津の開削によって草香の江の干拓を進めた話を思い出して、ナオリに訊いた。
「古くから、勢多の川を開削し、流れを増やせば、きっと水嵩が下がると言われております。そうすれば、沼地を水田に替えられるでしょう。しかし、瀬多の水量が増えれば、下流にある、巨椋池の水嵩も増え、大きな害となると申す者もおり、手を付けずにおります。」
ナオリは苦しげな顔で答える。
「父様、タケル様には、正しい事を知っておいていただいた方が良いのではありませんか?」
ミワが父ナオリに促すように言った。
「開削に関して、何かあるのですか?」
タケルが訊くと、ナオリは少し重い口調で答えた。
「湖の東、蒲生という郷がございます。蒲の原に覆われ大半は沼地。ここの生まれのタダヒコという者が、これまで盛んに開削を進言をしておるのです。そうすれば、近江は豊かな国になるはずだと・・。」
「なるほど・・理はありますね。」
「しかし、蒲生の北、坂田郡(さかたごおり)は、淡海の国では珍しく水田が広がっており、その財を以て、周囲の郷を従えております。タダヒコの言う通りに、開削を進めれば、水嵩が下がり、水田は広がるでしょう。しかし、今、水田を持っている坂田郡では、今度は水不足となるかもしれぬというのです。そのことを懸念し、開削に反対しておるのです。」
ナオリが言う。
「なるほど、開削が全てではないという事ですか。」
タケルが答える。

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