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1.6 蒲生の郷 [アスカケ外伝 第3部]

「ナミヒコ殿、その事をムロヤ様へのお知らせ願えますか。」
「承知しました。」
ナミヒコはそう返事をすると、すぐに外へ出て行った。
館から外を見ると、ナミヒコを囲むように男たちが集まっていて、何か指示しているようだった。しばらくすると、暗闇の中を一人の男が駆けだしていく。おそらく、山城のムロヤへの使者だろうと思われた。そして、残った男たちも幾つかの船に分かれて乗り、湖へ漕ぎ出していった。
タケルは、翌朝、ナオリとミワと対面し、淡海の国の難儀を少しでも助ける事は出来ないかと考えている事を伝え、蒲生の郷へ向かうと話した。
「有難き事。ミワに案内させましょう。」
ナオリはそう言って、ミワが蒲生の郷まで案内することになった。
船で館を出て、対岸に向かう。
鳰の浜から東の対岸まではさほど遠くない。すぐに葦の原が見えてくる。秋になり、半ば枯れている葦の原に近づくと、容易には対岸に近づくことはできないことが判る。水田にはできないといった理由がよく分かった。暫く、船は葦の原の縁を進む。すると葦の原が切れているところに行き当たった。
「ここから中へ入りましょう。」
ミワが言うと、船頭が器用に船を回す。船の幅に葦の原が切れて水路のようになっている。進んでいくといくつか水路が分岐しているのが判った。
「この水路は、タダヒコ様がお作りなったのです。」
ミワは何か自慢気に言う。
突然、視界が開ける。葦の原を抜けると、内湖のようなところに出た。内湖の湖岸には、石組みのある人家が並んでいるのが見えた。
船着き場に着くと、ミワが真っ先に船を降り、郷の者に何かを尋ねている。ミワが礼を言って船に戻ってくる。
「タダヒコ様は、少し北に居られるようです。」
そう言って、船を内湖の北へ向けた。しばらくすると、前方に、船に乗った男たちの姿が見えた。男たちは、葦を刈り取って船に積んでいる。
「タダヒコ様!」
突然、ミワが大声で叫ぶと、船の端の方で、大鎌を振って葦を刈り取っていた男が顔を上げ、笑顔で手を振った。そして、ミワと同じような大声で返事が返ってきた。
「もうすぐ仕事が終わる。郷で待ってろ!」
ミワへの言葉遣いがぞんざいなのは、それは二人が只ならぬ仲であることを物語っていると、ミヤ姫とヤチヨはすぐに気付いた。
「はい!」
ミワの返事は、まるで少女のようだった。
タケルたちは先程の船着き場へ戻り、タダヒコの帰りを待つことにした。
その間に、タケルたちは郷の様子を見て回った。先ほど、タダヒコたちが刈り取っていた葦が、集落のあちこちに積まれている。そして、一角では、それを使って、屋根を葺いている。家屋の裏には小さな水田があった。だが、集落の大きさに比べてそれはかなり狭い。おそらく、ここの米だけでは不足しているに違いなかった。
山手の方に目を遣ると、あちこちを削った跡がある。足元を見ると、その土を盛ったものだとも判った。おそらく、沼地に土を運び、少しでも高くして水害から身を守っているに違いない。その作業は、相当の労力を要する事だと理解できる。しかし、行き交う人の顔には、笑顔が見える。
「やあ、待たせたな。」
近づいてくる船から、大きな声が響いた。タダヒコの声だった。ミワに向けて呼びかけているのは間違いない。船が着くと、タダヒコが船から跳びはねるようにして岸に上がる。
「久しぶりだな。元気にしていたか?」
タダヒコはミワに近付き、両手でミワの顔を挟み込むようにして顔を近づけてみせた。まるで、子どもをあやしているように見えた。
「止めて!もう子供じゃないんです!」
ミワはそう言いながらも笑顔を浮かべている。
「おや、この方たちは?」とタダヒコが訊く。
ミワが、これまでの経緯を一通り説明すると、タダヒコは「ふむ」と一言言ってから、タケルの前に傅いて、改めてあいさつした。
「私は、蒲生の郡主の役を授かったタダヒコと申します。このように汚れた格好で拝謁する不始末、どうか、お許しください。」
「タダヒコ様、それほど畏まらず。ミワ殿への挨拶と同様で結構です。」
タケルはそう言って、タダヒコを立たせた。
それから、ナオリから聞いた「瀬多の開削」について訊ねた。
「ナオリ様が申される通りです。淡海の湖岸に住む者にとって開削は悲願です。勿論、容易い事とは思っておりません。しかし、この先、皆が安堵して暮らすには必要な事なのです。」
タダヒコの言葉に何一つ曇りはない。
「この地は、皆様が土を盛って作られたようですね。」
と、タケルが訊く。
「はい。以前はここらも葦の原でした。それを刈り取り、石組をして、土を少しずつ運び、なんとか暮らせるようになりました。しかし、これでもなお、長雨の後には、膝辺りまで浸水してしまいます。開削ができ、水が引けば、ここらは広い水田にできるはずなのです。」
タダヒコの言葉には悔しさが感じられた。

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