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1.8 水を上げる [アスカケ外伝 第3部]

「川面を引き上げる?」
ヤチヨが少し驚いて訊いた。
「はい。難波津の傍にある、草香の江はかつて何度も洪水となり、人が住める場所ではなかったと聞きました。それを、摂政カケル様たちは、水路を開削して水を抜かれ、干拓が進み、難波津は豊かになりました。」
「それこそ、私が鳰の浜のナオリ様に進言してきた事。水が減れば、あの島の周囲はきっと良い水田に変わります。水害に悩まれされずに済みます。」
タダヒコが言うと、ナミヒコは制するように言った。
「その一方で、草香の江の北側の地で、古くからの水田を作っていた郷は、水不足となり、随分苦労することになりました。草香の江の水こそ、その郷の命綱だったのです。・・すぐに、摂政カケル様はその地へ出向き、様子を確認されました。そのうえで、近くを流れる川から水路を引けないかと考えられたのです。」
「それで、上手くいったのですか?」
と、タダヒコが訊く。
「いえ・・水路を作ってもなかなかうまくはいきませんでした。しかし、大雨が降った日、水路に水が流れたのです。川の水嵩が増えれば、水路に水は流れることを確信された、カケル様は、ソラヒコ様と相談されました。」
「ソラヒコ様?」
タケルは、難波津を初めて訪れた時出会っていた。だが、開削の中で父カケルに仕えた者とは聞いていたが、それ以上の事は知らなかった。
「ソラヒコ様は、川面を上げるために、大きな堤を作り、水を堰き止めればよいのではと考えられたのです。すぐに工事を始めました。それで、予想通り、水を引くことができたのです。」
ナミヒコの説明はよくわかった。
「そんなに都合の良い場所などあるのでしょうか?」
と、タダヒコが訊く。
「あそこをご覧ください。」
ナミヒコはそう言って、川の先を指さした。
そこは、川幅が少し狭く、川の中ほどに大岩が幾つか並んでいる。
「あれを土台にして川の半分辺りまで伸びる高い堤を作りましょう。その水を、水路に繋いではどうでしょう。」
タダヒコは、じっとナミヒコの指さす辺りを見ながら、想像している。
「うむ、堤が出来れば、あるいは出来るかもしれません。ですが・・」
タダヒコは、同意しながらも難色を示す。
「それは、相当大掛かりな仕事になるでしょう。たくさんの人夫が必要になる。蒲生の郡には、それほど多くの者はおりません。少ない人数では、何年掛かるか・・それに、また雪解けと長雨で水嵩が上がれば、堤を作るどころではなくなります。・・」
タダヒコが悔しそうに答えた。
「タケル様、是非、難波津へ遣いを出してください。水路開削に詳しい者を呼びましょう。」
「それが良い。石工も必要になるでしょう。杭にする木材も必要になる。紀の国の時同様、西国にも力を貸してもらうようにしてはどうでしょう。」
「そんなことができるのでしょうか?」とタダヒコは半信半疑だった。
「きっとうまくいきます。それが、ヤマト国なのです。困っている者があれば、助け合う。それは、国同士でも同様。争う事より助け合う事こそ、人の道だと、常々、皇様も摂政様も申されております。」
タケルの言葉に、タダヒコは大いに感動し、我が郷の事だけを考えてきた自分を恥じた。
すぐに、難波津へ向けて遣いが出された。
それからも、タケルたち一行は、タダヒコの案内で、郷のあちこちを見て回った。それぞれの郷の長からも話を聞き、小さな普請には、ともに汗を流した。水路を引くことについても、細かく説明し、それぞれの郷に同意を取り付けた。
一通り回った後、タケルたちはタダヒコと、水路作りだけでなく、道普請や干拓についてもじっくりと相談した。
「タケル様・・一つ伺いたいことがございます。」
数日経ったある日、タダヒコがタケルに訊いた。
「我らの郷の事に、これほど御尽力いただくことはまことにありがたい事です。しかし、我らには、お返しするものがありません。タケル様や・・いや、ヤマト国にとっても何の利はないのではないですか?それなのに、なぜにこれほどまで・・。」
それを聞いてタケルが答える。
「ヤマトの利とは何でしょう?・・例えば、水田を広げ米作りを増やし、都へ献上させることでしょうか?・・・そんなもののために、わざわざこの地を選ぶ必要はありません。都の周りもまだまだ開ける場所はある。そこに広い水田を作れば済む事。・・そんなことを皇様は望んでは居られません。」
「では、なにをお望みなのでしょう?」と、タダヒコ。
「皇様も摂政様も・・、もちろん私も、すべては民の暮らし、諸国に暮らす全ての民が安寧な暮らしができる世を作ることなのです。それは、ヤマト国すべての願いであると私は思います。・・いや、この地の民も同じでしょう。そのために、長様たちは腐心されて居られるのではないですか?」
タケルの言葉を聞き、ヤマトとはなんという素晴らしき国なのだと、タダヒコは思った。自分も蒲生の郷の民のために、全身全霊をかけて働いてきたつもりであったが、全ての民というほど広い視野はなかった。淡海の国のことすら考えていなかったように感じていた。

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