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1.9 難波津から [アスカケ外伝 第3部]

 一週間が過ぎた頃、「鳰の浜に難波津から多くの人がやってきた」と、報せが届いた。
 タケルたちは、まだ、タダヒコとともに蒲生の郷にいた。まもなくして、蒲生の郷の沖合に、無数の船が姿を見せた。タダヒコが、先導して、内湖に船を入れる。
「これはどうした事か!」
蒲生の郷の民は、船着き場で感嘆の声を上げた。
次々に着く船には、筋骨隆々の男達だけでなく、女達も数多く乗っていた。一気に郷の頭数が倍以上に膨れたようだった。
「タケル様!タケル様は、いずこに居られる?」
 最後に着いた船から声が響く。随分、年配の男がタケルを探している。それを聞いてタケルは船着き場に走った。
「これは・・ソラヒコ様・・よくおいでくださいました。」
ソラヒコは、かつて、《念ず者》と呼ばれ、肉が腐る病に侵されていたところを、アスカの治療で完治し、草香の江の水路開削では先頭に立って仕事をした。そして、その後、水門の守役として難波津で働いていた。
「開削をされるとお聞きし、私でもお役に立てるのではと参りました。」
ソラヒコは柔らかな笑みを浮かべて答える。よく見ると、ソラヒコを取り巻くように、若い男達が控えている。難波津で、ソラヒコから土木工事の技を学んでいる、いわゆる弟子の様な者達だった。
「この者達は、この地で自分の力を試してみたいと申すので、連れて参りました。・・役に立てれば良いのですが・・。そんな話をしておりましたら、女子どもが、海のような池があるのだと言って、淡海に行くならお連れ下さい等というものですから、何かの役に立つのではと思いまして・。」
ソラヒコは変わらぬ笑みを浮かべている。
それにしても、驚くほどの人数である。
「難波比古様もご命令されたようですね。」
タケルが訊く。やって来た者の中には、他にも、衛士や商いをする者たちもいた。この機会に、難波津と淡海の絆を強める事を、難波比古は考えたのだとタケルは思った。
「さて、これからどうされる?」
と、ソラヒコが訊く。タダヒコが来て、ソラヒコを館へ案内する。

「ほう・・開削ではなく、水路ですか。」
一通りの話を聞いて、ソラヒコが言った。
「それは良いお考え。・・瀬多の川を上って参りましたが、あの川を開削するのは難儀なことです。湖近くを開削したところで、下流の・・稲津という郷あたりで、二つの川の流れがぶつかり、堰き止められ、結局、洪水は避けられぬ事でしょう。」
ソラヒコの説明を聞いて、タダヒコは少し納得したようだった。
「それよりも良い方法は、水路を作ることです。」
ソラヒコが続ける。
「水路は、ため池と同様、大水の際には、一時的に水を溜める力を持ちます。これまで水の無かった地に、縦横無数の水路を巡らせることで、湖に入る水量をゆっくりとすれば、一気に水嵩が増える事を和らげるはず。その上、水路に石組みをして、土地を上げてやれば、大水の時にも被害は小さくなるでしょう。すぐにも、水路を巡らす場所を見に行きましょう。」
タダヒコは、タケルたちやソラヒコを連れて、台地へ向かった。
船着き場に居た大勢の男達も、山裾の台地へ向かう。それはまるで、大軍が進むようであった。
「ここですか。」
ソラヒコが周囲を見渡す。低木の林と、切り開かれた農地、南には低い山並みがあり、北側に川が流れている。
「良いところですね。」
更に一行は台地の縁を進み、先日、タケルたちと見た水路の取入れ口にすべき地点に着いた。
「なるほど・・あの岩は格好の場所にある。あれを使えば、堤もできましょう。・・ただ、そのための石材をどこから切り出すか・・見たところ、この周囲に大きな岩山はなさそうでしたが・・。」
ソラヒコが言うと、タダヒコは腕組みをして考え、やにわに振り返ると、水辺近くの山を指さした。
「我らは、岸辺の石組みには、あの山から岩を切り出しております。この地からは、やや遠くなりますが、良き石が採れます。」
「良いでしょう。・・タケル様、我らにお任せください。三年もすれば、きっとこの地は素晴らしきところとなるでしょう。難波比古様からも思う存分に働いてまいれとお言葉をいただいております。」
ソラヒコは自信満々に言う。
「お任せいたしました。ソラヒコ様に差配いただけば間違いないでしょう。ナミヒコ様、ソラヒコ様を信じ力を尽くしてください。」
タケルが言うと、タダヒコは強く頷いた。
その日から、水路作りが始まった。ソラヒコが男たちを使って、川に築く堤の大きさを決め、そこを当てに、水路を通す場所を決めていく。荒縄と棒を使い、少しずつ、場所を決めると、すぐに開削作業が始まる。同時に、採石場から、岩が切り出され、次々に運ばれる。
タケルは、ソラヒコの差配を受けて、民とともに仕事をした。
水路を開く作業場所近くには、寝泊まりできる掘立小屋が作られ、郷の者と難波津から来た者が、ともに生活し、朝から日暮れまで働いた。手が足らぬ田畑の作業には、難波津から来た女達だ手伝い、一時的に、蒲生の郷は人口が増え賑やかになった。それを知った鳰の浜や山背国からも、人が集まるようになった。

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