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3日目⑤姉川を越える [琵琶湖てくてく物語]

次の目標は、姉川河口にある姉川大橋。
ただひたすら、湖岸のさざなみ街道を南下する。右手は琵琶湖、左手は農地が続く単調な道だ。途中、八木浜という集落の横を通過する。
八木浜の集落には、中村屋住宅という、江戸期彦根藩の代官が住んだ屋敷が残っている。
時間があれば立ち寄りたいところだが、また、今度にする。
ただ、この八木浜地区は、やたら広い敷地に大きな住宅が立ち並んでいて、代官屋敷があったということは、江戸期にはかなり栄えた地区だったことが判る。周囲の農地もかなり肥沃に違いない。
姉川大橋が見えてきた。
「姉川って、あの戦いがあった川?」
唐突に妻が切り出した。
姉川と聞くと、「姉川の戦い」を思い出すのは当然のことだろう。
ただ、古戦場に同定されているのは、姉川の上流部で浅井家の居城小谷城の南、北国脇往還に近い野村橋あたりだとされている。ここからは遥か東の山の麓に近い場所だ。
「誰と誰が戦ったんだっけ?」
再び妻が聞く。
「信長と家康軍と、浅井・朝倉軍の戦いだよ。」と答える。
「浅井って、信長の妹が嫁いだところだったわね。浅井三姉妹の母だった・・お市の方。」
妻の知識の大半は、ドラマである。
大河ドラマファンの我が家では、役名より誰が演じたかの方が判りやすい。ここから、暫くは、大河ドラマの話をしながら、歩いていく。
戦国時代の話はやはり面白い。史実をもとに作られているのだが、同じ時代でも描かれ方はそれぞれ違う。登場人物も、かなり違うのに話の本筋は同じなのだからなお面白い。
豊橋に居た頃、「おんな城主 直虎」をやっていた。
直虎の舞台は、浜松市(合併してしまったので)。浜名湖の奥の引佐町井伊谷を領地とする井伊家の存亡を描いたドラマだった。織田信長や家康、秀吉、武田信玄、今川義元など遠国大名に囲まれた国が如何に生き残るかという話だった。同じ、戦国時代を描いたドラマも多い中、こんな無名に近い存在を扱うというのは実に面白いと思った。などと、大いに話したのだが、恥ずかしいので、内容は端折ることにする。
そう言えば、井伊家はのちに家康に重用されて、彦根城主となるほどに出世した。
近江と遠江は何か不思議な縁があるようだ。
それにしても、近江の国は、信長が安土城を作ったように、戦国時代には、世の中を治めるためにどうしても手中にしたいほどの国だったのだということに改めて気づく。
京への水運、東西の要、地の利を考えると重要な場所だったに違いない。もし、信長が明智光秀に討たれず、天下を納め、家康のように長期にわたる政権を維持できていたら、もしかしたら、滋賀県は首都になっていたかもしれない。などと妄想が膨らむ。

さて、姉川大橋を越えた。
ここで、琵琶湖は内陸へ向かって窪んだ形になっている。東へ向かって歩くことになる。
「ねえ、ちょっと寄り道しよう。」
妻が言った。姉川大橋を越えたところ、右に入る脇道があり、より湖岸に近い道だった。民宿の看板がある。今もやっているのかは定かではない。ただ、この先には水泳場があるので、もしかしたら夏場は開いているのかもしれない。今は真冬なのでお休みかな。
ぐるりと回り込んだ形で再びさざなみ街道に出た。産地直売・びわ・みずべの里があった。ちょっと、トイレを借りに立ち寄り、何も買わずに出てきた。
さてあと少し。

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