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3日目⑥緑地公園の畔 [琵琶湖てくてく物語]

この先は、南側に琵琶湖を望むことになる。真冬ではあるが、日差しが湖面に反射して何か温かく感じられる。ここから長浜の豊公園近くまでの湖岸は、緑地公園に整備されていて、どこでものんびり琵琶湖を愉しむことができそうだった。春に車で通った時、桜の花が綺麗だったのを覚えている。
湖岸緑地公園を眺めながら歩いていく。
まず、左手に「ヤンマーびわ工場」が現れる。入口にある「あの地球儀」は有名らしい。
「ヤンマー長浜工場」は、私の父が若い頃研修に来たところだ。
父は漁師の息子で、男兄弟が6人、女3人の9人兄弟の三男だった。長男は、祖父から漁師を継ぎ地元にいたが、三男の父は自由に生きられたようで、職を転々とし、一時は潜水夫をやったこともあった。
私が生まれた時は、船を持つ漁師になっていて、母の実家に婿養子として入り、半農半漁の暮らしだった。
だが、時代は高度経済成長の真っただ中。台風に遭い、船を失い失意の中で、「漁師を続けるよりもサラリーマンの方が収入も安定し暮らしは良くなる」と決心し、陸へ上がった。そして、少し知識のあった機械産業の道を探して、ヤンマーに勤めることにした。
初めに、長浜で研修を受け、戻った父は、兄弟たちのヤンマー農機具の販売代理店を始めたのだ。敢え無く、代理店は倒産し、港にある鉄工所に勤めたものの大怪我をして退職。その後、知り合いの伝手で、ヤンマー直営販売店に拾ってもらって何とか生活を維持したのだ。父の半生を短くまとめてしまったが、随分苦労したに違いないと今では思う。定年までしっかり務めあげ、肺がんであっけなく亡くなったが、父の人生はどうだったのだろうか。
私が大学まで行けたのも、実はヤンマーのおかげともいえる(かも)。実のところ、やん坊、まあ坊は、私にとっては兄弟のような存在なのだ。

左手に「オリエンタル酵母工業びわ工場」が見える。
初めて、「オリエンタル」の名を聞いた時、名古屋では定番の「ハヤシもあるでよ~(名古屋弁)」のオリエンタルを思い浮かべてしまった。ちょっと調べてみると、あのCMは昭和30年代に大ヒットしたとあるが、私が名古屋に来た昭和54年、名古屋地域では、あのCMが流れていたように思う。微かな記憶だし、もしかしたら、新しいバージョンなのかもしれないが、「うみゃーでいかんわ」という名古屋弁はインパクトがあった。実際、名古屋に来て、あんな言葉を使っているわけはないだろうと思っていたのだが、大学の生協食堂あたりでは頻繁に耳にした。極々普通の言葉だった。そのあと、安城市に移り住んだ時、名古屋から50kmほど離れると、もう全く別の言葉だった。豊橋に来るとまた更に・・。愛知県の中でも尾張と西三河と東三河は言葉の違いが鮮明だった。
今NHK大河ドラマで「どうする家康」を放映しているが、あの中で耳にする言葉が、時折、東三河の言葉や遠州の言葉が混ざっているのは、意図的なのかと深読みしてしまうことがある。今川の人質として育ち、岡崎(西三河)に戻ってからも、尾張の小田に急き立てられるようにして、遠州・今川領へ攻め入り、浜松を拠点にする事で、おそらく家臣団には、西三河や東三河、尾張や遠州の者も雑多に居たのだろうなどと想像する。
いや「オリエンタル酵母工業」の名前から、またもや、大幅に脱線してしまった。
「オリエンタル酵母工業」はパンに使うイースト菌を90年前から製造し国内シェアトップの企業だそうだ。さすが、滋賀は発酵文化の土地だと感心する。そう言えば、先日、滋賀県大津市がパンの購入量日本一になったニュースがあった。この「オリエンタル酵母」と関係があるかもしれないと密かに思ったのだった。

その先には、もう豊公園の長浜城が見えてきた。

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