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10日目②樹木葬 [琵琶湖てくてく物語]

再び、港へ通じる道路に戻り、細い道を進む。かなり狭くなってきて車幅一杯ではないかともう程になった時、行き止まり、民家へ入ることになった。脇に人が通れる道があったので、さっと通り抜ける。ここで、Mapを確認。どうやら、一本西側の大きい道路に出た方が良さそうだった。
広い道路を少し行くと、「堅田ふれあいパーク」の看板があった。
ここは、樹木葬のある墓地が広がるところだ。
「琵琶湖てくてく」を始める前に、一度来たことがある。
私たち夫婦は、18歳で実家を出て、大学を卒業し、2年ほどで結婚した。当時はそれが当たり前だった。妻の実家は静岡、私は山口。それぞれ実家は兄弟姉妹が跡を継いでいるので、戻ることはない。ということは、自分たちで墓を用意しなければいけないということになる。若い頃はそんなこと考えた事もなかった。だが、還暦目前になれば、自分たちの最期を考えることも多くなった。いわゆる「終活」。
娘二人はそれぞれ独立していて近くには住んでいない。立派な墓を作っても、後を見てくれる事もないだろう。死んだ後も二人きりということになるわけで、それならば、立派な墓石など持たず、樹木葬が良いと妻が言い出した。
理に適っているので、私も同意して近隣の樹木葬を探すと、この「堅田ふれあいパーク」に辿り着いた次第だ。
悪くはない。だが、どこまで維持されるのかと不安になった。いやいや、死んでしまえばどうでもいい事じゃないかと、どこかで考えているのだが・・。
こんな暢気な事を言っていられるのは幸せの証かもしれない。実際、余命宣告を受けたら、そんなことは考えもしないだろう。生きていて幸せだからこそ、死後のことを考えられる。何だか皮肉な話だ。
昨年、納骨堂が閉鎖されるニュースを見た。経営破綻によりビルが競売にかけられ、経営者と連絡が取れなくなっているというものだった。同様の事態は全国で起きている。一方で、墓の維持管理ができず「改葬」して「墓じまい」も急増しているという。
私の実家も、昔は、「先祖代々の墓」が地所の中にあった。2基並んでいて、大きくて、かなり古いものだった。2基の周りにも小さな墓石が並んでいて、おそらく、我が一族が葬られていたようだった。以前にも書いたが、実家は、承久の乱の後、島流しにあった一族の末裔で、我が家はその一族の本家にあたる。古い墓石はほとんど彫られた文字も読めないほどになっていたので、相当古いものだと推察された。
子どものころは、この墓には一族の祖先が葬られているから、大事に守っていかなくてはならない、それが跡継ぎの仕事だと、祖母から何度も聞かされた。長男というのはそう言うものだと子どもながらに納得していた。
だが、親父は、あっさりと古い墓を改葬し、町の共同墓地に新しい墓を作った。理由は明らかだった。実家の地所は、借金ですでに所有権はなく、借地になっていたからだ。持ち主から強く撤去を求められたらしい。本家でありながら、曾祖父が事業に失敗して、ほとんどの土地を抵当に入れていたらしく、それを祖母は長く秘密にしていた。そんな事情もあり、親父は短期間のうちに墓じまいをした。墓に収められていた骨壺は一つにまとめられ、新しい墓に収められた。その数年後に父も他界し、墓に入った。そのすぐ後に亡くなった祖母は、別の墓(嫁いでいた先の墓)に入った。一昨年亡くなった母は、父が建てた墓に父とともに入っている。そんなことを経験すると、墓とは何か考えてしまう。いっそ、散骨もいいかも。ただし、琵琶湖は飲用水になっているので、海洋散骨のほうが迷惑が掛からないかも。
樹木葬の「堅田ふれあいパーク」からおかしな話になってしまった。

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