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4日目、④幻の松原内湖 [琵琶湖てくてく物語]

前方に大きな建物が見えた。
「エクシヴ琵琶湖」だ。この建物は、対岸の高島からも良く見える。
通り過ぎてしばらく行くと信号。県道2号(さざなみ街道)はここからいったん琵琶湖を離れるので、信号から右手の道に入る。
民家の中を進むと、悠々の館(老人ホーム)。さざなみ街道から一本入ると静かだ。小さな漁港を通り過ぎる。前方に山影が見えてきた。
再び、さざなみ街道に戻る辺りで、湖に大きな岩が並んでいる。
「烏帽子岩」。夕日がきれいな景勝地らしい。道路の反対側に「磯崎神社」がある。日本武尊が亡くなった地と伝承されている。日本武尊の伝承は日本各地にあるが、滋賀県では、伊吹山の神を討伐する際、毒に侵され、醒ヶ井の清水で正気を取り戻したのち、この地で亡くなったとされている。
そろそろ昼を過ぎていて、お腹も空いてきた。磯崎を回り、少し行ったところでついに彦根市へ入る。
COCO’Sの看板を見つけたので、入ってみる。
だが、ちょっと予想と違う。中に入ると、右手に大きな建物。看板には「ミシガン州立大学連合日本センター」とある。奥の方に、COCO’Sの建物が見えた。ちょっと気後れしてしまって、そのまま出てきた。
もうちょっと歩いてみる。前方に、セブンイレブンの看板を見つけた。トイレを拝借し、昼食を購入。日差しもあるので、湖岸で食べることにした。
ちょうど、脇道のように湖岸に沿った道がある。
セブンイレブンで買ったおにぎりをもって、湖岸に座って食べる。振り返ると「つるつる」という麺屋さんがあって、客席から見られていた。まあ、いい。
食べ終えて、再び歩きだす。
湖岸沿いの道には、松が植わっていた。北西風が強いところなので、防風・防砂の役割を持っていると思う。
米原市入江地区を歩いているところでも書いたが、この辺りも、昔は「松原内湖」があった場所だ。今いる場所は、琵琶湖と内湖を隔てる砂州だったところだ。
彦根城天守内に公開されている「彦根城郭旧観図」を見ると、今の彦根城の北側と西側にかけては琵琶湖の内湖(松原湖)が広がっていて、その北にある入江湖とも繋がっていたようだ。長浜城から彦根城までの間は内湖で繋がっていたと言ってもおかしくない。
城下町も湿地帯を埋め立てて整備されたようで、彦根はほとんどが中世の計画都市だったと言える。
飛鳥の時代から都市整備と政権は密接な関係にある。平城京・平安京、鎌倉、そして、安土、江戸。新たな時代には新たな都市がそれを担う構図がよく判る。
東京(江戸)開発はその究極なのかもしれないが、全国各地で同じように都市開発が進んだ理由を探るのは、歴史的な研究ポイントかもしれない。
武将は、戦の力ではなく、「都市開発力」の方が重要だったとも思うし、優秀な戦略家や軍司は、土木知識に長けていたのかもしれない。都市開発の視点で歴史を見ていくのも面白いだろう。

歩きながら、そんな話をしていた。
その先には「お浜御殿」があった。道路からはそれが何か判るものではない。ただ、大きな森が続いているだけ。調べてみると、彦根藩11代当主によって造営された屋敷らしい。文化7年というから、江戸末期に近い。お殿様の別荘の一つということか。
そのまままっすぐ進むと、彦根港である。途中で左折し、ふたたび、さざなみ街道へ戻る。

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