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5日目②ウソのような宇曽川 [琵琶湖てくてく物語]

1時間ほど歩いてようやく、前回のゴール、今回の出発点に着いた。
さあ、これからが本番。湖岸を進む。犬上川を越えたところで、左手に滋賀県立大学の建物らしきものが遠景に見える。
信号脇にあったコンビニで昼飯を調達。コンビニの入り口わきに、ベンチが置かれていたので、そこで昼食とした。
ビワイチのサイクリストたちのための、サイクルスタンドもあった。昼食を取り始めたら、ビワイチの二人連れがコンビニへ入り、同じように昼食休憩をするようだった。
ヘルメットとサングラスを取ると、二人とも「外人」さんだった。
そう言えば、自宅の前の湖周道路を走り抜けていくビワイチのサイクリストたちには、いろんな人がいる。若い男女二人とか、家族という方も見るのだが、圧倒的に「ひとり」が多いように思う。
明らかに外国人と判る人も多い。外国からビワイチのために日本に来たとは思い難いが、彼らにはこの琵琶湖はどのように見えているのだろう。
何か機会があれば聞いてみたいと思う。
さて、昼食を終えて、いよいよ午後。これから4時間くらいは歩けるだろうか?
さざなみ街道は少し右にカーブして、湖岸沿いとなり、八坂町を通り抜ける。綺麗に区画された住宅地からして、ここもきっと埋め立て地ではないかと思いながら歩いていると、橋の奥に「矢坂港跡」があった。
Mapを見ると、その先にある「宇曽川」から分岐した水路があり、八坂港跡に続いていた。宇曽川と水路が囲む半円状の土地は紛れもなく干拓のあとに違いない。宇曽川の上流には「野田沼」があるのを見ると確実だと思う。おそらく、松原内湖と同時期、昭和の干拓だと思うが、琵琶湖東岸は、かなりの範囲で干拓・埋め立てされているのが明白だ。
寛永年間の近江国図を見ると、前方に見える荒神山や安土山、近江八幡の奥津山などが島だった様に描かれている。東海道本線より西側は、葦が茂る湿地・沼地だったと思われる。湖岸にある集落はおそらく砂州上に形成された漁村の名残なのかもしれない。
先を急ごうとした時、妻がまた呟いた。
「ねえ、あれって、沖の白石?」
随分前から見えていたのだが、ここでようやく気づいたようだった。
湖岸から西、対岸に目をやると、湖面から二つ岩が飛び出している。
「ああ、沖の白石だね。その向こうが高島だと思うよ。」
安曇川の河口の先をまっすぐ彦根を見た時に見えたはずだが、気づかなかった。こちらからの方がよく見える。
「じゃあ、あれは?」
少し右手を指さす。
「多景島だね。ちょっと見てみようか。」
私たち夫婦は、出かける時必ず小さな双眼鏡を持っている。昔からの習慣だ。二人とも視力は良かったので、展望台とかちょっとした高台などに行くと、周囲の風景に目を凝らして、知っている物がないかを探す癖がある。今回も、リュックサックには双眼鏡がある。立ち止まり、取り出して、ピントを合わせる。小さな双眼鏡で8倍程度。そんなに遠くのものを識別できるものではない。じっと、多景島を見る。
横に長い小さな島。左手に尖がった塔、右手に大きな岩が見える。なんでも、島全体は見塔寺の敷地で、塔は「誓いの御柱」大きな岩は「題目岩」というらしい。
「知り合いに、多景子さんっていう人が居るけど、きっとあの島の名からとったのね。」
「へえ、じゃあ竹生島から竹生(たけお)という人もいるかもね。」
何だか、暢気な会話をしている。

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