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7日目④藤ヶ崎龍神社 [琵琶湖てくてく物語]

さざなみ街道を守山を目指して進む。
歩道が整備されているので歩きやすい。時折、ビワイチの自転車とすれ違う。白鳥川を越えたところに緑地があったので、中に入る。歩道のアスファルトと違って、土の道は膝に優しい。水茎干拓地という場所らしい。
ここから、さざなみ街道は「頭山」の小さな峠を越える。ここには、室町時代に佐々木氏が築城した「水茎岡山城」(砦)があったようだ。岡山は周囲が湖であったため、防御には強い城(砦)に違いない。今はまったく遺構もないそうだ。
峠道に入る前に、Mapを見ると、湖岸沿いに道がある。通り抜けられるか心配だったが、先端に「藤ヶ崎龍神社」というパワースポットがあるというのを見つけたので行くことにして、脇道に逸れた。
山際の細い道を進むと、突然、「藤ヶ崎龍神社」が現れた。
琵琶湖に突き出すような恰好で大きな岩があり、そこに祠と鳥居があった。外宮らしい。二拝二拍手一拝で道中の安全を祈願した。振り返ると内宮がある。大きな岩の割れ目深く空洞があり、中にご神体らしきものがあるようだった。
というのも、内宮に入ろうとしたら、中から怪しげな声が聞こえて来たので、足を踏み入れるのを躊躇った。若い女性が二人いて、一人の女性が特異な服装をして何かを唱えていて、横にいる女性も熱心に手を合わせているのだ。
どういうものかは全く理解できなかったが、二人が占拠しているところに足を踏み入れるのはさすがに申しわけなく、すぐに退散した。
外の看板に、水茎の岡として、万葉集に40首余り読まれている景勝地だと書かれていた。
パワースポットという言葉はいつから広まったのだろう。
私が若い頃、余り耳にしない言葉だったような気がする。1990年バブル前後から、聞き始めたような言葉だと思う。
「神霊鮮かな場所」として、伊勢神宮、熊野大社、鞍馬山、高千穂、富士山等々、日本人は、自然のエネルギーを知り、信仰と結びつけ、そうした場所に社や祠を建ててきた。そういう場所が「パワースポット」と称されるようになったのだが、今や、そういう概念から逸脱したような「パワースポット」が観光資源として生まれ始めていて、ちょっと、勘弁してくださいという様なものもある気がする。
新しいものを否定するつもりは全くないが、そこに強い力を感じる感性があるとは思えない人達がふざけて写真を撮ったり、むやみに傷つけたりする行為をニュースなどで見るとがっかりする。観光雑誌などでも時々節操のない記事を見ることがあり、「え?それってなんでパワースポットなの?」と言いたくなるものもある。
先ほど、藤ヶ崎龍神社の内宮で、何かお祈りの様な儀式をしていた女性二人はどうなのだろうか。そこに霊験あらたかな力を感じての所業であれば良いのだが・・そういう場所を悪利用して、怪しげな宗教を始め、詐欺まがいの事をやろうとする輩もいるのでご注意を。
そんな心配をしながら、藤ヶ崎龍神社を後にする。その先には小さな砂浜と売店のような建物があった。勿論季節外れで閉まっていた。
そこを通り抜けると、ふたたび、さざなみ街道へ入ることになる。
この先は、日野川の河口部に当たり、日野川の水流で運ばれた土砂が堆積してできた地形だと判る。古地図を見ると、日野川は「仁保川」と書かれていた。隣り合うように流れている「家棟川」が古地図には載っていないから、恐らく、「仁保川」は昭和の干拓事業の中で流れが変わって、日野川と家棟川とに分かれたのではないかと推察される。それにしても、昭和の大干拓事業は凄いものだったようだ。琵琶湖の形が大きく変わったのだろう。


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