SSブログ

8日目②南湖を南下 [琵琶湖てくてく物語]

橋の上は風が強い。遮るものが何もないのでどうしようもない。早々に渡り切りたい。
渡り終えると、料金所の横の歩道から外へ出られた。そして、ピエリ守山の駐車場へ。
さて、ここからが本当の出発になる。
琵琶湖大橋東詰の交差点にあるローソンでちゃんと昼食を確保したあと、道路を渡り、湖岸沿いを進む。ヤンマーマリーナを過ぎると、琵琶湖岸になる。先ほどわたって来た琵琶湖大橋の全景が見える。こうやって見ると、やはり、かなり長い橋だということが判る。
ここからはほぼ南に向いて歩くことになる。
真正面から日差しを浴びることになり、ちょっと暑さを感じるほど。師走、晦日前で本当ならかなり寒いはずだが、こうやって歩いていると寒さは余り感じなくなる。人間の体は不思議だ。
対岸が比較的近いので、歩きながら対岸の様子も見ていけるので、飽きずに行けそうだ。
暫くすると、SGホールディングスの陸上競技場があった。佐川急便の特徴あるブルーの色の看板が出ているのですぐに判った。
これはおそらくデマだと思うが、私が名古屋に通勤していた頃、名古屋在住の職場の同僚が「佐川は自己破産した人が多く働いているんだよ。」と少し蔑むような意味を込めて言ったことがあった。
「お前はどれほどの者なんだ」と思いつつ、「へえ」と無意味な相槌を打って聞き流した。
おそらくそういう噂は数多く世の中にあるだろう。
今はSNSでそういうデマカセがまことしやかに流れてくる時代だ。
自分の眼で見て確かめた事すら危ういことなのに、ちょっとした「つぶやき」を真に受けて行動することだけは避けたいものだ。
1970年代のオイルショックの時に、トイレットペーパーが無くなるという話が広がってスーパーに列ができた事があった。
あれは、大阪・千里ニュータウンの一角で起きた珍事を、テレビや新聞がこぞって報道したために、全国に波及してパニックになったのだ。何故、トイレットペーパー?と思うのだが、当時、千里ニュータウンには水洗トイレが完備していた。それまでの汲み取りトイレでは、「チリ紙」が使えたのだが、水洗トイレは「トイレットペーパー」でないと詰まって使えなくなるというのが理由。トイレットペーパーは命綱みたいなものだったのだ。
結局、オイルショックでトイレットペーパーが無くなることはなく、我先にと買い込んだ人々によって、メーカーや販売店が迷惑しただけだった。
あれ以来、「おひとり様〇〇個まで」という制限して販売する方法が定着した。
コロナ禍でも、品薄のマスクや殺菌剤などがこうした方法で販売されたのが記憶に新しい。そして、今、卵の不足で値上がりと同時に数制限が起きている。生鮮品はさすがに買い占めできないが、それでも、幾つかのお店をはしごして、買い求める消費者がいるようだ。
『足るを知る』ということを、昔、祖母が言っていた。
身の丈にあった範囲で、必要なものを手にすれば良いという事をよく言っていた。この歳になって、ようやく、それを実践できている自分が恥ずかしいが・・。
デマ話から脱線した。
歩みは進んでいる。
陸上競技場に隣接して、保養所、さらに美術館が並ぶ。社員の福利厚生にここまで力を入れている企業はそう多くないだろう。
右手に、守山漁港と金毘羅宮。ここらは、もともと内湖だったところを埋め立てて造成された場所のようで、コカ・コーラボトリングを越えたところに、綺麗に並んだ住宅地があった。地図を見ると、造成地の東側には古くからの街がある。町の中心に、光照寺(伊能忠敬が泊ったらしい)があるのがその証。北には蛭子神社もある。

nice!(11)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー