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10日目⑤琵琶湖水害 [琵琶湖てくてく物語]

家の隙間から湖岸が見えた。通り沿いに進んで、右側の道を進むと、「木元神社」があった。道の反対側には浄土真宗本願寺派の「慶専寺」がある。
そこを抜けるとようやく、湖岸沿いの道になった。道路を挟んで、民家が左手、湖岸は右手。湖岸には、畑や庭、駐車場のように使われているところが続いている。
途中、茶色の看板が立っていた。「琵琶湖水害と石垣沿(堰)堤」の文字。明治に二度、2.9mと4.0mの浸水があったと記されていた。よく見ると、草むらに隠れるように「石垣」があった。琵琶湖の水位が上昇したことで大きな水害が発生したため、堰堤を作って防御したのだろう。それにしても、4.0mというのは異常だ。軽く1階は水に埋まり、2階に避難したとしてもかなり厳しい。しばらく、湖岸の道を歩く。よく見るとあちこちに石垣が残っている。看板に気づかなければ、それまでだった。
明治29年の琵琶湖水害をちょっと調べてみた。
9月3日から12日の10日間で1008mmの雨量(平均降水量の6割に達する)を記録、特に7日には597mm(彦根)を記録した。このため琵琶湖水位は+3.76mの過去最高水位を記録した。浸水日数は237日にも及んだ。とされていた。被害の多くは東岸に集中しているようだが、西岸でも大きな被害にあったようだ。その後、瀬田川の浚渫工事や洗堰の造営など、治水作業は大幅に前進したともあった。
昨今、「異常気象」とひとまとめにして、「ゲリラ豪雨」「線状降水帯」「○○年に一度の災害」という言葉が常套句のように使われている。だが、過去にも、最近のような豪雨災害は起きている。もともと、東岸エリアは、内湖を干拓し埋めたてしたところが多く、ほんの少しの水位上昇で大きな被害につながる。西岸でも同様の地域はあるはずだ。
私が住んでいる萩の浜・永田地区は、数年前に、鴨川堤防が決壊し、浸水した地域だ。災害記録も見た。我が家は少し盛り土されて周囲より高くなっていて、家の基礎も通常より高くしていて、2m程度の浸水なら被害はない。だが、明治29年の時のように4mという浸水が発生すれば、逃げ場がない。周囲には高台も高層ビルもない。
そう思うと、災害を予見しいかに早く避難するかが極めて重要になる。
琵琶湖には、流入する川は優に400を超えるが、流れ出る川は瀬田川のみ。周囲に降った雨はすべて琵琶湖に注がれ、瀬田川のみで排水することになる。さらに、野洲川・姉川・愛知川など、東岸の川は、奥深い山地から流れ出て、勾配差がほとんどない平地を流れ、周囲より高い「天井川」になっている個所も多い。東岸を歩いた時に見た、排水施設はまさに命綱といえる。
こう考えると、滋賀県はほぼ全域で、水害のリスクは高いことになり、他の都道府県に比較にならないほど治水対策が重要と言えよう。
さらに、琵琶湖西岸には断層帯もあり、大地震発生の危険性がある。過去には、断層地震で琵琶湖でも津波が発生した記録もあるようだ。
近頃は、全国的に地震が続いている。不安を掻き立てるような報道もある。
よく考えてみると、日本列島は、世界に類を見ないほど災害に見舞われる場所だ。そもそも、日本列島事態、プレート境界上の地殻変動が生んだものであり、温帯特有の四季がある。年間を通じて、災害要因が常にあると考えるべきではないか。
そこに住む人間として、災害に対して自らの命を守る手段を確保しておくべきだと思う。滋賀県固有の地域特性を知り、災害に備えること。私の住む高島市は、隣接地域とは161号線のみが陸路となっている。(朽木方面では京都へ通じる道路はある)地震や豪雨による土砂崩れなどで陸路は絶たれる危険性は高く、高島市丸ごと孤立化する。そのことを冗談交じりに話すことがある。仮にそうなったとき、どうすればよいか、道路の復旧はどれほどの時間が必要か。そんなk十を考えているとき、ふと、目の前の琵琶湖が目に入る。陸路が発達する前、琵琶湖は水運が盛んだった。仮に、陸路が立たれた時、水路・水運を活用する救援策というのは考えられないだろうか。

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