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10日目⑨比良駅ゴール [琵琶湖てくてく物語]

木戸川を超えると、緑地公園があり、ちょっとトイレを拝借した。田圃を抜けたあたりから少し様子が違う。ここまで大半が別荘だったがここから先は、古くからの集落になるようだ。街並みがずいぶん落ち着いている。弁柄塗の日本家屋、農作業のための小屋、軽トラックなどを見ながら進む。
初めて大きなT字路があった。左手(西)、湖西線の高架橋の向こうに、鳥居が見えた。その先に、樹下神社(じゅげじんじゃ)が見える。琵琶湖から神社までまっすぐに道が伸びている。樹下神社は、木戸庄の氏神様らしいが、この地にあった木戸城主佐野氏が勧進したと伝わっているが、それ以前に、比良山を神とする信仰があったようだ。その間に、仏教伝来・比叡山の興隆・信長による焼き討ち・明治政府による神仏分離など、大きな流れの中でこの神社も数奇な運命をたどり、時代に応じて名を変えながら、今日まで存続されてきたらしい。ただ、今回、そこをお詣りする時間的体力的余裕はなく、とりあえず、鳥居の方向に向いて「二礼二柏手一礼」させていただいた。
ここまで来て、突然思いついたことがあった。確か、琵琶湖東岸を歩いていた時は、寺領を中心に集落が形成されているところが多かったように思う。だが、西岸にはそういう集落は少ない。まあ、西岸といっても大半が大津市で都市開発が進んでいて、古い集落が少なかっただけだろうが、西岸はやはり、比叡山延暦寺の絶大なる勢力圏であったことや、古くは大津京が置かれたり、水運の町として発展してきた経過といった経緯があるのかもしれない。できれば一度じっくり調べてみたいものだ。
しばらく進むと、「志賀駅」に到着した。ゴールまではあと一駅分歩くだけとなった。
線路沿いの道は少し殺風景なので、もう一本湖に近い道を歩く。旧家が並ぶ通りを過ぎると、砂浜が見えた。「松の浦水泳場」だ。真冬のこの時期に人はいないのだが、だからこそ、白砂青松の美しい景色を楽しむことができた。やはり、こうしたところには別荘が並んでいる。
前方が少し上りになっている。上るとそこには、大谷川が流れていた。
この先は、湖西線高架下の道路を進んで、再び、湖岸沿いを進む。青柳浜水泳場・オートキャンプ場の横を通り、進んでいくと、アスファルト舗装がなくなり、狭い道になった。ちょっと不安を感じながら進むと、浜に出た。一般道なのか、敷地内なのかわからないところを歩く。レンガが敷き詰められたところもあり、おそらく私有地の中を歩いているのだろう。幸いオフシーズンで誰もいない。その先で、さらに驚いた。完全に湖畔に建っている建物がある。「〇〇寮」という名前なので、どこかの会社のものだろうが、建築許可は取れているのかちょっと怪しい感じがした。隣にも2軒ほど建っている。不思議だ。
墓地が見えた。南比良区の看板があるから、おそらく、集落の人の墓地だろう。道に沿って進むと「南比良船溜まり公園」があった。船溜まりということは、ここに小さな港があったはず。その横に、「本立寺」があり、昔は寺の前に船着き場・港があったことになる。よく見ると、周囲の家の周囲に、石垣が残っていて、公園の周囲をぐるりと取り囲んでいた。もう少し進むと、以前にマキノ町海津で見た「石垣」に似たものがあったので、おそらく、ここも湖の水害から土地を守る機能を持たせていたのだろうと推察された。
北比良水泳場を見ながら進むと。もうゴールの「比良駅」が見えた。
さて、本日はここまでとしよう。
今回は、32,563歩・22㎞だった。もともとの計画では、堅田から近江舞子まで20㎞歩くはずだったのだが、寄り道しながら歩いたせいか、ずいぶんと距離が延びていた。10回で終了するはずだったが、何度か予定変更もあり、あと1回を残すことになった。
こうやって歩いてみて、なんだか、昨年歩き始めたのがずいぶんと昔に感じる。歩くたびにいろんな発見があり、不思議に思うことも多かった。若いころにはできなかったことだと改めて感じている。

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