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11日目③琵琶湖周航の歌 [琵琶湖てくてく物語]

まあ、そんなことはどうでもいい。そろそろ、近江舞子を抜け、再び、湖西線が見えてきた。そういえば、湖西線はよく止まる。強風の時は高い頻度で止まる。それも、この近江舞子から近江塩津の間で止まる。はじめはどうしてなのか判らなかったが、ここの地形を見て理解した。ほんの数キロ先に1000m級の比良山系が連なり、冬になれば北西風が山を越えて吹き降ろす。高架になった線路はかなりもろいに違いない。
そんなことを考えながら、高架の下を潜ろうとしたが、すぐ手前に赤く色づけられた「歩行者・自転車専用道路」を発見した。この道はGoogleMapにも出ていなかった。
細い道だが、湖畔沿いに進めそうだったので、入ってみた。
少し行くと、「北浜水泳場」の看板と矢印があったので、入ってみた。松林を抜けた先がぱっと開けると、湖畔に出た。これは、なかなかの演出。ホテル琵琶レイクオーツカという建物。きっと客室の窓からは琵琶湖が一望できるに違いない。
小さな碑があった。「琵琶湖周航の歌」の歌碑だった。彫られていたのは2番の歌詞。
「松は緑に砂白き 雄松が里の乙女子は 赤い椿の森蔭に はかない恋に泣くとかや」
この辺りが、雄松が里というところらしい。
「琵琶湖周航の歌」。琵琶湖大橋を大津から守山へ向かって走ると、真ん中あたりから、メロディーが聞こえてくる。時速60㎞で走るとうまく聞こえるのが、「琵琶湖周航の歌」だ。
琵琶湖周航の歌は、旧制第三高校(現・京都大)のボート部が、琵琶湖を1周する漕艇のさなかに、高島市今津に寄港したときに詩が披露され、その後メロディが付けられ親しまれてきたものだ。こちらは大正時代にうまれたものだ。
調べてみると、これまで様々な人がレコーディングしていた。もっとも有名なのは、加藤登紀子が歌ったものだろう。(個人的には加藤登紀子の声が嫌いなので聞いたことはない)滋賀県民は誰もが歌えると聞いたが、実際には高齢者に限るようだ。若い人はほとんど知らないようだ(自分の周りで訊いた範囲)
高島の我が家の近く、萩の浜の入り口辺りにも、似たような碑がある。
こちらは、昭和16年、旧制第四高校(現・金沢大学)のボート部の遭難事故の追悼碑。「琵琶湖哀歌」が知られている。
萩の浜沖で突風に煽られて転覆するという事故。4月に発生していることから、気候条件をあまり知らなかったのではなかった。前にも書いたが、この地へきて、カヌーを始めたころ、琵琶湖は意外に恐ろしいことを知った。特に、岸辺近くでは、風と波が、浜ごとで違う。目の前の浜が凪いでいたとしても、一つ河口を超えると、風が強くなって波も高いということがある。特に、萩の浜から白髭神社、北小松へ向かうと、時折、比良山から吹き降ろす突風を体験する。
湖西線もこの辺りが強風で止まることが多い。そういう琵琶湖特有の気候条件を知らなければならない。昨年も、プレジャーボートが転覆するという事故があった。
琵琶湖を侮ってはいけない。
ところで、「琵琶湖哀歌」と「琵琶湖周航の歌」は、7割がた、メロディが似ていると言われる。聞き比べてみてもやはりそう思うし、琵琶湖哀歌を歌おうとすると、周航の歌になってしまうこともある。だから、旧制第四高校遭難事故を悼み、「琵琶湖周航の歌」が作られたと思っている人が少なくないにちがいない。かく言う私も、一時期、混同していた。
琵琶湖を素材にすると同じようなメロディになるというのはあり得ないことなので、おそらく、琵琶湖哀歌を作詞・作曲した方々が、琵琶湖周航の歌を意図的に使って作られたと考えるのが妥当だと思う。
旧制三高と旧制四高。なかなか興味深い。

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