SSブログ

10日目⑦湖畔の別荘地 [琵琶湖てくてく物語]

さて、ここからはしばらく大通り(県道558号線)を歩く。
右手には、ワニベース、BBQハウス、大阪成蹊大学びわこセミナーハウス、BSCなどなどと並んでいて、湖岸には入れそうもない。
湖西線が県道を跨ぐ場所、「南舩路」の信号で湖岸に出られそうな道があったので入ってみた。県道321号線らしい。少し狭いが、湖岸道路だった。湖岸に張り付くようにアスファルトの道路が続いていて、ちょっとよそ見をして運転しているとそのまま、琵琶湖にハマってしまうくらいの位置にある。その道路を挟むようにして、別荘が並んでいる。今は冬場で、水辺のレジャーどころではないので、ほぼ無人になっている。贅を凝らした建物もあれば、しばらく使っていないような建物もある。
それにしても、琵琶湖が近い。しばらく歩いていると、なんだか懐かしい感じがしていた。
「ねえ、ここ、初めて来た気がしないわ。」
妻も同じように感じていたようだ。だが、初めて歩く道には間違いない。
「ねえ、やっぱりここって、あそこみたい・・ほら、最初に移住先を探したころに回っていた・・ええっと・・。」
妻の言葉に、ようやく思い出した。
移住を決めて、物件を探し始めた時、まずは手近な浜名湖周辺を物色した。
浜名湖は、日本で3番目の大きさを誇る湖だ。ただ、淡水湖ではなく汽水湖。今からざっと500年ほど前、マグニチュード8.4(推定)の明応地震で、海と湖を隔てていた陸地が崩壊して今切口ができ、太平洋の海水が入り込んだ。その地震では8mの大津波が押し寄せ、浜名湖周辺で家屋が流出するなどの被害が出た。それから200年後の宝永大地震が発生した。そのときは静岡県(遠江・駿河)全域で大きな被害が出た。さらにその後150年ほどして安政大地震、その50年後に東南海地震。わずか500年の間に4回の大地震が起きた。ただ、そんな最近の地震ではなく、さらに古い地震があったことは明らかだ。浜名湖の東部の丘陵地には、大津波で削られた跡があちこちに見られるし、湖西市から渥美半島のかけての海岸線は、大津波でざっくりと削られた崖が続いている。東海道には、その痕跡が至る所にある。
そんな浜名湖周辺は、今では一大レジャーエリアになっている。ヨットハーバーやリゾートホテル、温泉街などが続く。年間通じて温暖な気候とあって、冬場でもリゾート客は多い。
そんなところに移住できればと思い、あちこち物件を探した。そのときに、回った場所が、この蓬莱地区に似ているのだ。
湖沿いの舗装道路を挟んで並ぶ別荘。家からほんの10歩足らずで湖のほとりに出られる。中には、船着き場が庭につながっているところもあった。管理された別荘地も多く、管理費だけでも高い。浜名湖では、とにかく、これはいいなと思うような物件はべらぼうに高額だった。とても、退職金程度では購入できるものではなく、早々にあきらめた。
そんな場所とここはよく似ている。おそらくここも、高島に比べれば、高額なのだろう。
「ああ、浜名湖のね・・。」
妻の問いに、ぼんやりと答えた。
「そうそう・・でも、あそこはこんなに人がいなくはなかったね。」
それはそうだ。物件を見たのは確か夏場だった。ここだって、夏に来れば、レジャーを楽しむ別荘族がいるはずだよ。と思いながら、「ああ」と軽くうなずく。
宝くじにでも当たれば、こういう物件を購入して住んでみたいと今でも時々思うことがある。まあ、宝くじも買わなければ当たらないのだが・・・。
そういえば、ここの駅名、蓬莱。なかなか意味深で面白い。神仙思想の中で、不老不死の仙人が住む場所を「蓬莱」と呼んでいる。駅名に蓬莱とあるが、地名ではない。西に聳える比良山系にある「蓬莱山」への登山口にあたるため、江若鉄道の当初は比良口駅とされていたのが、改名され、「蓬莱駅」となったらしい。それがそのままJRが使用しているわけだ。

nice!(5)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー