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9-2 守るべきもの [マニピュレーター(シンクロ:同調)]

山下邸に来て数日、マリアは夢の中にいるような気分で過ごしていた。
レイと一緒にいることはもちろん、山下夫人との会話も楽しかった。
山下夫人は判らない事を尋ねると、柔らかい口調で、丁寧に、何度も何度も、優しく教えてくれた。全てを受け入れてもらえる事が何よりも幸せだった。
一方、レイは、山下夫人にどこまでの事を話せばよいか悩んでいた。
おそらく、早晩、追手がここも突き止めるに違いない。そして、それは、山下夫人も危険にさらすことになるだろう。そうなる前に、ここを去る必要があった。だが、今のところ、行く当てがない。何より、この先、マリアが安心して生きていくためには、逃避行を続けていくわけにはいかない。何としても、追ってくる敵と対峙し、勝利して自由を手に入れるほか道はない。自分はマリアを守り切れるのか。
そうした事情を山下夫人に話して、どこまで理解してもらえるのだろうという不安が大きかった。
マリアがベッドに入った後、山下夫人とレイはリビングでコーヒーを飲みながら寛いでいた。
「レイさん、何でも話してね。言えないこともあるかもしれないけれど、私に気を遣わないで。あなたにはお返しできないほどの御恩があるのだから・・。」
山下夫人は、笑顔でレイに言った。
「ありがとうございます・・。」
レイはそう答えるのが、やっとだった。
「マリアちゃんは良い子ね・・。私には子どもは居ないから、小さな子どもとお話できるのが嬉しくて・・。子どもの好奇心というのは素敵なのね。思いもしない質問が飛び出してきて、まるで、びっくり箱みたい。ずっと一緒に居られたらいいのにって思うわ。」
山下夫人の言葉に、レイは思わず目頭が熱くなった。そして、山下夫人には全てを打ち明けても良いかもしれないと思った。
「玲子さん、聞いて貰えますか?信じていただけないような話に思われるかもしれませんが・・今、マリアちゃんと私に起きている真実をお話します。」
そう前置きして、レイは、山下玲子に、マリアの生い立ちや特別な能力の事、そして、自分にもそういう能力があること、なにより、それが原因で命を狙われているということを一つ一つ順を追って話した。
ひとしきり話を終えたところで、山下夫人が、「コーヒー、冷めてしまったでしょ。淹れ直すわ。」と言って、席を立ちキッチンへ行った。
山下夫人は、レイから聞いた話しを自分なりに整理しながら理解しているようだった。そして、入れ直したコーヒーをもって戻って来た。
「私にできることは何かしら?」
そう、笑顔でレイに訊いた。
暫くここに身を隠しておくということだけしか、レイの頭にはなかった。
「できれば、暫くここに居させてください。」
「勿論、いつまでいてもらっても構わないわ。」
夫人は笑顔で答えた。
「レイさん、あの子は、私の孫だと思ってもいいかしら?もう、勝手にそう思っているんだけど。」
「ええ・・そう思っていただけるなら・・。」
「それなら、話はシンプルね。」
夫人の言葉にレイは少し戸惑った。シンプルとはどういうことなのか、すぐには思いつかなかった。
「だって、身内の人間が誰かに危害を加えられそうだとしたら、あなたならどうする?」
「守ります。命に代えて。」
「そうでしょう?可愛い孫が見知らぬ誰かに命を狙われているのよ。”ばあば”は、自分の命に代えても守るわ。それが例え意味の無い事だと言われてもね。ましてや、娘と孫の両方が危ういというなら、なおさらでしょう。残りの命、全て、あなたたちに捧げるわよ。」
山下夫人の眼は真剣だった。
「どんな敵なのか判らない。命を差し出しても守れないかもしれない。そんなこと関係ないわ。目の前であなたたちが傷つくなんて、許せない。私は覚悟を決めたわ。」
もはや、レイは返す言葉が浮かばず、ただ、夫人に縋って涙を流した。その夜、レイは久しぶりにぐっすりと眠る事ができた。
翌朝、レイが目覚めた時、夫人とマリアの姿が無かった。ガレージに車がないのを確認すると、二人で出かけたのは明らかだった。だが、どこに行ったのか判らず、レイは不安を抱えて、ずっと外の様子を気にしていた。
目覚めて1時間ほど過ぎた頃、玲子の車が戻って来た。助手席にはマリアが乗っていた。
「あら、御寝坊さんね。」
玲子は、少し意地悪な言い方をする。
すると、マリアもそれを真似て「レイさん、御寝坊さんですね。」と言って笑った。
二人は大きなショッピングバッグとクーラーバックをトランクから取り出して家の中に運び込んだ。
「マリアちゃんが、魚が食べたいっていうから、朝市に出かけたのよ。」
玲子はそう言いながら、バッグの中から食材を取り出し、冷蔵庫に仕舞う。マリアも、クーラーバッグから、魚を取り出して、玲子に渡す。
「朝市に久しぶりに行ったわ。以前は主人と行った事があったんだけど、一人じゃ・・ね。楽しかったわね。」
玲子が言うと、マリアも笑顔で頷いた。
「お昼は海鮮丼を作りましょう。・・レイさんは、朝ご飯、どうする?」
「いえ、コーヒーだけで良いです。」
大きなカップでコーヒーを淹れて、マリアがレイのもとへ運んできた。
「ばあば、凄いの。店の人に、ニギ、ナギ、いや、なんだっけ・・そうそう、値切って随分安くしてもらって、たくさん買ったの。店の人がもう勘弁してくださいって・・面白かった・・。」
マリアは、無邪気な笑顔で楽しそうに話した。
なにより、玲子の事を、「ばあば」と呼んでいることにレイは驚いた。レイはすぐに玲子の顔を見た。玲子は少し顔を赤らめて、「まあ、良いじゃない」というような表情を見せている。
その後も、マリアは玲子といろんな話をしたり、玲子の夫が残したクラシック音楽のCDを聞いたりして過ごしている。
レイは、富士の麓で、レヴェナントのケヴィンが拉致したマリアと初めて対面した時、マリアに喜怒哀楽の表情を全く感じなかったことを思い出していた。
十歳になるまで、感情を抑圧されて生きてきた少女が、今、ごく普通の少女の表情を浮かべている。
他人と交わることがなかったにも拘らず、今は、玲子とこれほどまでに親しく過ごせるようになっている。
あの場から、逃げ出してきた事は間違っていなかった。そして、これからも、ごく普通の少女として生きていくことが何より大切なことなのだと考えていた。
そして、それを守り続けることが、最も難しい事も判っていた。それでも、一日も長く、こんな日が続くことを祈るほかなかった。
レイは、あのメールが亜美のもとに届いたのか、ふいに思い出した。そして、ケヴィンはまだ自分たちを追ってきているのかも知りたかった。
「玲子さん、ここ、インターネットは使えますか?」
「ええ、2階にあるパソコンなら使えるわ。どうぞ。」
マリアの相手をしながら、玲子はそう答えた。
レイは2階の部屋に行き、パソコンを開いた。あのメールに返信は来ていないか。
「あったわ。」
安川から返信が入っていた。
『亜美さんに伝えました。レヴェナントは死亡。新たな敵が近づいています。所在は不明。今、亜美さんたちが調べています。気を付けて下さい。』
「どういうことかしら・・他にも私たちを狙っている人がいるの?」
レイは、新たな不安を抱えた。あのケヴィンを殺したとすると、新たな敵は大きな脅威だった。既に近づいているのかもしれない。レイは自分たちの居場所を伝えるべきか悩んだ。居場所を知らせれば、亜美たちは安心するだろう。だが、新たな敵に知られる可能性もある。
レイは結局、返信はせず、パソコンを閉じた。

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