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1-3 温かい暮らし [マニピュレーター(シンクロ:同調)]

 マリアは暫くこの老夫婦と過ごす事に決めた。施設が自分を捜索している事は判っていたが、ここでの日々がマリアを引き留めていた。
その老夫婦は、トンプソンと言い、夫はフレッド、妻はサラと言った。郊外で小さな農場を開いていたが、高齢になり、現在は他人に任せ年金生活を送っていた。倹しい暮らしを続けてきた事で、現在は経済的な不安はなかった。孫のジェニファーが生まれ、いずれは、息子夫婦と同居する事を夢見て、広い芝生の庭にはいくつかの遊具も置かれていた。
 マリアはそこで、これまで子どもとして体験するはずだった「遊び」を満喫し、祖父と祖母と毎日、静かに暮らす事に満足していた。特殊能力を使う事もなく、静かに暮らしていた。
 二週間が過ぎた頃、スーツ姿の男女が現れた。
「ご近所の方から、問い合わせがありました。お宅には幼い子供がいて、学校に通っていないのではないかと・・確か、お宅のお孫さんは・・。」
現れたのは、市の教育局の職員だった。男性職員は、そこまで言葉を発したものの、その先の言葉に困った表情を浮かべた。一緒に来た女性職員は、ちらりと家の中に視線を送って、話を切り替えた。
「どちらか、お知り合いの方のお子さんかしら?」
二人とのやり取りを、マリアはソファの陰に隠れて聞いていた。
「ああ、ちょっと訳ありでね。暫く預かることになったんです。」
フレッドは、動揺する様子も見せずに答えた。
「訳ありとは?」
女性職員が訊く。
「甥夫婦の娘です。大きな街に住んでいるんだが、心の病で学校へ行けなくなったようで、ここなら静かに過ごせるからと、に頼まれたんだ。心が癒えれば、また、親許へ戻る約束なんだ。」
フレッドは落ち着いた表情で職員を諭すように答えた。
「なるほど・・そういう事ですか。ただ、我藁もこのまま帰るわけにはいきません。名前を教えておいてください。何かあったら困るのはトンプソンさんですから。」
男性職員が言う。
「ああ、名はマリア。マリア・トンプソン。」
「判りました。どんな子なのか、姿を見せてもらえませんか?」
女性の職員が粘る。
フレッドは、心配そうな表情を浮かべて、ちらりとリビングの方を見た。フレッドの困った様子に気付き、マリアがゆっくりとソファの陰から顔を見せる。
「マリアさんね。」
女性の職員が、わざとらしい笑顔を浮かべて言った。マリアはじっと女性の職員を見つめる。彼女から強い悪意は感じないが、少しばかり疑念を抱いているのが感じ取れた。少し後ろに立っている男性の職員からは、フレッドに向けた悪意を感じた。彼は、フレッドに対してマリアを誘拐したのではないかと考えているようだった。
マリアは意を決して、二人の前に進み出た。
ふいに、男性の職員が言った。
「フレッドさん、甥御さんはアジア系ですか?」
男性職員から強い感情が湧き上がるのが感じ取れる。
マリアは、完全に日本人である。フレッドもサラも白人種。血縁関係にあるとすれば、マリアはクオーターであり、これほどの黒髪、肌の色は不釣り合いと考えても不思議ではない。
「いや、それは・・。」
初めてフレッドが答えに困った。
「彼女のご両親のことを詳しく訊かせてもらえませんか?」
今度は女性の職員がやや強い口調で言った。マリアには、彼女の中に強い悪意を感じ始めた。このままでは、トンプソン夫妻に迷惑が掛かる。
マリアは咄嗟に、職員二人の手を握った。そして、二人の意識にシンクロする。二人ともトンプソン夫妻に対して強い疑念を抱き、マリアが誘拐され監禁されていると決めつけていた。そして、ここからマリアを連れ出す事に強い正義感を持っている事も判った。このままでは、連れ戻される。マリアは直感的にそう思った。
マリアは、二人の意識にシンクロしたまま、強く念じた。
『ここには何もない。』
職員二人は、ビクッと一度震えた後、顔を見合わせる。
「私たち、ここで何をしていたのかしら?」
「ああ、なにをしていたんだ?」
二人の職員はそう言って、急に背を向けて、乗ってきた車に戻って行った。
フレッドは、突然の出来事に意味も解らず、ただ、遠ざかる車を見送った。
「いったい、どうしたんだ?」
フレッドはそう呟くと、マリアの顔を見た。
マリアは、フレッドを見てにっこりとほほ笑んだ。
「さあ、おいで。部屋に戻ろう。」
フレッドはそう言うと、玄関を閉め、マリアとリビングに戻った。
「もう大丈夫だ。」
フレッドは心配そうに見つめるサラに向かって言ってから、マリアの頭を撫でて、自分の部屋に入って行った。
マリアはリビングにあるソファに座り、独り、考えていた。
施設に居た時も同じようなことが何度もあった。
相手の意識に入り込み、自分が強く願うとその通りになる。これが特別な力なのだと確信した。そのために、自分は施設に閉じ込められていたのだ。
先ほどのような事がこの先いつ起こるとも限らない。このまま、ここに居るというのは難しいかもしれない。いずれ、施設にも居場所が判ってしまうだろう。私の存在を知っているトンプソン夫妻にも危害が及ぶかもしれない。だが、どこへ行けば良いのか。こんなに居心地の良い場所が他にはない様に思っていた。
ふと、リビングにあるマガジンラックに目が留まった。
そこに、雑誌があった。表紙には、「JAPAN」の文字。どうやら、日本を特集した記事が掲載されているようだった。
マリアは、その雑誌をそっと開いてみた。
そこには、自分とよく似た黒髪の少女が写っていて、広い公園で遊んでいる風景があった。写真の遠景には、富士山が写っていた。
それを見て、マリアの中の遠い記憶が蘇る。
施設へ来る前、何かよく似た風景を見たような気がした。
あれはどこだったのか。私の父や母はどうしたのか。何故、私はここに来たのか。しかし、正確には何も思い出せなかった。ただ、写真で笑顔を振りまく少女を見ると、まるで自分と同じだった。私は日本人なのだろうと確信した。
日本に行けば、自分が何者なのかきっと解るのではないか。もしかすると、自分を待っている父や母がいるかもしれない。父や母が居なくても、私を知る人物はいるはずだ。そうだ、日本へ行こう。ここはアメリカ、日本まで、施設も追っては来ないだろう。
ただ、日本に行くには、国際線の航空機に乗らなければならない、確か、パスポートが必要だろう。
マリアは、施設の教育プログラムを通じて、大人以上に、社会の仕組みについて学んでいた。いずれは、剣崎のように、特殊能力を活かし、秘密工作員として生きていくはずだったからである。心と体はまだ十歳の子どもに違いないが、知識だけは大人以上に持っていたのだった。
トンプソン夫妻に、日本へ行くために協力を得るのは難しいだろう。そこまで、巻き込むことは赦されない。一人で何とかしなければと考えていた。
その日から数日、マリアは、自分のいる場所や日本までの道程を少しずつ調べた。同時に、自分の意識深くにある幼いころの記憶を引き出そうとした。
自分の記憶の深いところに意識を集中する。雑誌で見た風景とやはり重なる。そして、周囲の様子。畑が広がっているようだった。その風景が何処なのか、雑誌を広げて似たような場所を探る。インターネットを使って日本の地図を開き、記憶の中に埋もれているものを掘り起こす。
マリアは、その場所をついに突き止めた。
その頃になると、施設でも周辺の町へマリア捜索の動きが強くなり始めていた。


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