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囮の女性-5 [デジタルクライシス(シンクロ:同調)]

「え?ママって?」
「インドネシアに居るよ。去年、強制送還されたから。不法滞在だって。20年近く日本に居たのに、突然、帰れって・・これって、おかしくない?」
これ以上、彼女の話を聞いていても、EXCUTIONERには近付けないように感じて、面接を終了した。
囮になった彼女は、身元が明らかになったことでおそらく、名古屋へ戻されるだろう。彼女自身の心の中には、母のいるインドネシアに行きたいという思いがあったのかもしれなかった。だが、それは、一樹や亜美がどうにかしてやれるものではなかった。
「ヒントは残しながら、全く近づけない様にしているわね。」
亜美は、海上保安庁の建物を出て、車に乗ると、溜息をつきながら言った。
「だが、一つ収獲だったのは、あの事件で急に囮を準備しようとした事が判ったことだ。おそらく、その女性を見つけてもEXCUTIONERとの面識はないだろう。誰かに頼まれたという範囲で、元をたどることはできないかもしれない。だが、片淵亜里沙がマンションに行くことに決まり、EXCUTIONERも、救出・逃亡の準備を慌てて始めたんだろう。きっと、どこかに隙があるはず。」
一樹は、亜美と囮になった女性のやり取りを注意深く聞きながら考えていたようだった。
「あの貨物船に、不法出国の女性がいることも利用しているんだ。かなり、そうした裏情報にも精通した奴に違いない。・・もしかしたら、片淵亜里沙とその男も、出国しようとしているということか?」
海上保安庁でのやり取りや、車の中での二人の会話は、無線を通じて全て剣崎にも聞こえていた。
「矢澤刑事、その可能性は否定できないわね。周辺に居る船舶を調査するよう、海上保安庁に要請しておくわ。」
と、剣崎から返答があった。
「二人は名古屋へ向かって。・・彼女が依頼を受けた場所周辺で、目撃者がいないか、愛知県警に依頼をしているけど、自分たちでも調べてみて。その女性は確かに居たはずだから。」
剣崎には、何か気になることがあるようだった。
二人が海上保安庁の門を出ると、アントニオが既にトレーラーを運転して迎えに来ていた。
「さあ、乗って下さい。名古屋までドライブです!」
アントニオは陽気な声でトレーラーを走らせる。
一樹と亜美は、名古屋に着くまでの間、トレーラーでしばしの休息を得た。
まるで細い糸を手繰るような捜査だ。このままでEXCUTIONERに近付くことができるのだろうか。一樹はぼんやりと、窓の外を見ている。
2時間程で、伊藤ナディアが、上品な女性から依頼を受けたという、名古屋駅の西側にある駅前広場に着いた。
多くの人が行き交っている。愛知県警の捜査員が二人の許へ来て、聞き込みの状況を報告したが、取り立てて有力な情報はなかった。
「まあ、これだけの人が行き交っている場所だからな・・二人が話している事は目に入っていても、気に架ける人などないだろうな。」
こんな場所で目撃証言を得るなど不可能に近い事は、これまでの経験から充分推測できた。
「だが、これだけ人が居る中で、女性は偶然、ナディアに声をかけたわけじゃないだろう。彼女の身の上を知ったうえで、近づいたはずだよな。」
一樹が呟く。
「彼女がよく行っていた場所、勤めていた店はどうかしら?確か、彼女、ガールズバーに勤めていたって言ってたはず。」
と、亜美が言う。
「ああ、そうだな。そこで彼女の身の上を知っていたということかもしれない。」
彼女の供述をもう一度確認し、栄周辺の歓楽街へ向かった。
そこは、以前にガサ入れした「エメロード」の近くだった。雑居ビルの一つに、彼女が勤めていたガールズバーがあった。まだ、開店前のようだったが、ボーイが掃除をしていた。
「この娘、知ってるな?」
入口の前を、掃き掃除しているボーイに、ナディアの写真を見せながら、一樹が声をかける。
ボーイは、怪訝な顔をして一樹を見る。ちらりと警察バッジを見せた。ボーイは何か慌てた様子で、店の中へ隠れようとする。
「おい、別に、取り締まりに来たんじゃない。彼女のことを知りたいだけだ。」
一樹は、ボーイを追って、店の中へ入った。
数人の女性がカウンターの中に居た。見るからに未成年のようだった。一樹はボーイの首根っこを押さえ、捕まえると、ボックス席に座らせた。
「彼女、ここで働いていたんだろ?」
一樹は少し凄みのある声を出して、ボーイに訊くと、ボーイは小さく頷く。
「彼女をひいきにしていた客は?」と、一樹が尋ねる。
すると、ボーイがカウンターの中にいる女の子の方を見た。
「そうか、お前より彼女たちの方が詳しいってことか。」
一樹は、ボーイを解放すると、カウンターに寄りかかって、今度は、女性たちに同じ質問をした。
「正直に教えてくれれば、未成年だという事は見逃してやるよ。」
一樹は、少し悪ぶって言った。
すると、一番年上に見える女性が口を開いた。
「ナディアはあまり客とは仲良くならなかった。見た目で、皆、同じ質問をするのが嫌だって・・ほら、彼女、見た目、外国人でしょ?必ず、どこの国の人って聞かれるんだ。もう嫌気がさしてたって・・。」
それを聞いて、亜美が訊いた。
「でも、彼女の身の上を知ってる人はいるでしょ?」すると、その女性は答えた。「確か、一人・・少し前に、治療してもらったって言ってた・・歯医者さん。何て言ったっけ?」
その女性が言うと、カウンターの中に居た女の子たちは顔を見合わせた。皆、知らない様子だった。歯医者と聞いて、一樹が、思い出して訊いた。
「もしかして、その歯医者って、安西って言うんじゃないか?」
「ええ・そうそう、安西って言ってた。」
「ありがとう。」
一樹と亜美は、彼女たちに礼を言い、すぐに安西歯科医の許へ行くことにした。

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