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アスカケ第1部 高千穂峰 ブログトップ
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-帰還-11.タタラ [アスカケ第1部 高千穂峰]

11.タタラ
 アラヒコとミユの二人の暮らしが始まった。アラヒコは宣言どおり、麻袋に入った様々な実の種を植えるために、村の中や山のあちこちに、穴を掘り、肥料になるものを埋め、種を植え始めた。ミユもできる限りともに居て、仕事を手伝った。
 カケルは、宴の時に聞いたアラヒコの土産話が忘れられなくて、アラヒコの仕事の手伝いをしながら、時あるごとに、アスカケでアラヒコが見たもの、聞いたもの、何でも質問した。
 アラヒコが戻ってきて半年ほど過ぎた頃、カケルは、今まで秘密にしてきた「タタラ」の事を相談する決心をした。
「アラヒコ様、ひとつお話したい事があるんです。」
いつもはこれほど丁寧な話し方をしないカケルが神妙な顔つきでアラヒコに切り出したので、アラヒコは少し戸惑ってから答えた。
「何だ?何か悩みでもあるのか?」
「僕と一緒に館に来て欲しいんです。」
そう言ってカケルはアラヒコを館に案内した。館には、巫女セイが祈りの最中であった。二人が入ってきたのに気づき、祈りを止めた。
「カケル、どうしたのじゃ。」
「巫女様、巻物を見せてください。アラヒコ様に相談したいんです。」
セイは少し考えてから、
「そうじゃな・・アラヒコが戻ってきたのも何かの知らせやもしれぬ。・・タタラの事を話すのじゃな。」
「はい。」
カケルは巻物を広げ、そこに書かれている「ハガネ」と「タタラ」の事を説明し、実際に、ケラも取り出し、タタラの跡を見つけたことも話した。
「そうか、ハガネというのか。俺の持ってる小刀も、ヒムカの国でもイヨの国でも珍しがられたんだ。どんなものより良く切れるし強いからな。だが、そう簡単に作れるものではないだろう。」
「でも、古人はこれを作ったんです。」
「で、もしできたらどう使うのだ?」
「セイ様も、災いを呼ぶかも知れぬと言われたので・・今日まで秘密にしてきたんです。・・でも、アラヒコ様が戻られ、外の暮らしの話を聞くうちに、僕も、このハガネを上手く作って、もっと強い剣や刀を作ってみたいと思ったんです。・・石包丁よりもよく切れるものが出来れば、村の人も畑仕事も料理も、木を切るのももっともっと楽になるんじゃないかって。」
アラヒコは、腕を組み、眼を閉じたまま、カケルの言葉を聞いた。巫女セイもカケルの考えを聞き、押し黙ったままであった。しばらくして、アラヒコが目を開き、カケルをじっと見つめてこう言った。
「良いか、カケル。これはきっと村の暮らしを大きく変えるだろう。俺たちが持っている小刀でさえ、木も獣も簡単に切り裂く事ができる。命を奪う力を持っている。使い方を誤れば、人さえも危める事ができる。仮に、上手くハガネができたとしても、どんなものを作るかが大事だ。・・ヒムカの国王のように、戦に備え、武器を作るような事になれば、この村に必ず災いが起こる。一族みな死ぬことにもなるだろう。それを見定める事ができないなら、やめた方が良い。」
アラヒコの言葉は厳しかった。巫女セイも深く頷いていた。カケルは答える言葉が浮かんでこなかった。自分が考えている以上に、ハガネを作り出す事は重い事なのだと言われ、今の自分にはやってはならない事のように感じていた。
その様子を察したのか、アラヒコはこう言った。
「・・・そう言っても、いずれ、他国でハガネは作られるだろう。俺の行ったイヨの国にも、時折、渡来人が訪れていた。その度に、香だとか黄金だとか、見たこともない物を持ち込んでおった。きっと、ヒムカの国も、戦支度にハガネを使う時が来るだろう。・・・幸い、この村は、周りは深い森に囲まれている。静かに暮らしていれば、戦に巻き込まれることもないだろう。お前の言うように、畑や山の仕事に役に立つ道具を作れれば、ここの暮らしも良くなるだろう。・・まずは、お前が見つけたタタラの跡と、石を取ったという場所に案内してくれ。俺の目でしかと見定め、ミコト達とも相談し、どうするか決めようではないか。」
そう言って、カケルの頭を撫でた。そして、巫女セイのほうに向き、
「それで良いでしょう。セイ様。このアラヒコがしっかりカケルを見守りましょう。」
セイは、アラヒコの目を見て、頷いた。

すぐに、アラヒコとカケルは、タタラの跡へ向かった。
「こんな藪の中で、お前、よく見つけたな。」
タタラの跡についたアラヒコは、少し息を切らしながらそう言った。こんもりとした土塁のようなものがあり、カケルは、その構造を説明した。そして、辺りに落ちている黒い塊を拾い上げ、「これがハガネです」と説明した。
「砂を燃やしてこれを取り出すのです。・・砂が真っ赤になって流れ出る・・砂の命を冷やし固め、また熱くして、叩き伸ばし、形を作ると、剣や刀になるんです。」
「だが、その砂はどこから持ってくる?」
そう聞いてカケルは、例の洞窟を案内した。
「きっとこの中にあるはずです。古人が掘った穴です。きっとこの中にあるはずです。」
「よし、判った。お前がここまで見つけ、ハガネの作り方も頭に入っているのなら、後は、みなの考えを聞くことだ。とても一人ではできるものではない。村の皆が力を合わせないと無理だ。今夜にでも皆で相談しよう。」

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-帰還-12.砂鉄探し [アスカケ第1部 高千穂峰]

12.砂鉄探し
 アラヒコはミコト達を集め、カケルが見つけた「タタラ跡」や洞穴の話をした。長老やミコト達も、アラヒコ同様、ハガネを作る事には興味はあるものの、災いが及ばないかを心配していた。それでも、カケルとアラヒコが熱心に説得し、翌日からハガネ作りを始めることになった。
 カケルは、ミコト達を「タタラ跡」に案内し、アラヒコに話したのと同じ様に説明した。それから、洞窟にも案内した。
「実はな、カケル。我らもずっとこの場所を探して追ったのじゃ。じゃが、なかなか見つからなかった。・・いや、たとえ見つけても、ここがハガネを作る場所とは判らなかったであろう。・・お前たちの気持ちはよくわかった。今日から、皆で分担して、ハガネ作りを進めるのじゃ。」
長老がそういうとミコト達は、何組かに分かれた。ハガネの元になる砂を洞窟の中から掘り出すもの、タタラを修理し使えるようにするもの、火を作るために大量の炭を焼くもの、みなそれぞれに、自分の仕事の合間を縫って、ハガネ作りに励んだ。
炭焼きは、もともと、畑仕事の少ない冬場にやっていた。今年はいつもの年よりも大量に作る事になった。炭焼きは長老が中心になって進めた。
タタラ場は、ナギが中心になって、カケルが巻物に書かれている様子を教えながら、土を払い、中を掃除し、割れたところを塗りなおし、何とか使えるようにした。
一番、苦労したのは砂の採掘だった。まず、残っている洞窟に入り、中の様子を探った。アラヒコが中心になって、どんな砂を取っていたのかを検分した。松明を灯し、中を照らしてみたが、あちこちに掘った跡は残っていたものの、どんな砂なのか皆目見当がつかない。壁を少しずつ掘って、土を外に運び出し、日の光に広げてみた。
「ただの砂にしか見えないなあ。」
アラヒコは、ケラと呼ばれるハガネの元と運び出した砂を見比べながら、悪戦苦闘していた。
「カケルよお、一体、どんなものを探し出せばいいんだい?」
アラヒコは、タタラ場の支度をしているカケルのところにやってきて、訊ねた。カケルは、巻物を広げ、砂鉄というものの特長を教えた。
「黒い粒・・普通の砂より重い・・・ああ、水を使って選り分けるとある。掘った砂を水に流してみると判るかもしれない。」
「そうか・・水の流れか・・それなら、川へ運んでみるか。」
アラヒコは、掘った砂を竹籠に入れて川に運ぶ事にしたが、みたりの御川は、もう流れを止めていた。仕方なく、村に戻り、溜めておいた水を汲み、砂にかけてみた。一籠ほどの砂を流してみると、黒い砂粒がわずかに溜まった。
「これか・・・だが、これだけしかないのでは、使えないな。」
穴掘りに精を出していたミコト達も、取れた砂鉄の量を見て、大いに落胆し、その場に座り込んでしまった。
「昔の人たちが、掘りつくしたということかもな・・それで、ハガネ作りを止めてしまったということだろう。」
 そこに、村の仕事をしていたイツキがやってきた。
「どうしたの?・・もう、砂堀は終わったの?」
アラヒコは、掘った砂から取れた砂鉄を見せて、無理だろうと言った。
イツキは、その砂粒をじっと見つめてから、突然思い出したように言った。
「ねえ、この砂粒、見た事あるよ。・・・どこだったっけなあ。」
イツキは、くるりと身を返して、辺りを眺めながら記憶を辿っている。そして、
「あっそうだ。・・みたりの御川の下・・西の川に落ちるところに・・この黒い砂がたくさんあったわ。前に、カケルと魚取りに行った時だったはず。黒い砂に足をとられて転んだの。きっとあそこの砂と同じよ。」
イツキはそういうと、アラヒコをはじめ座り込んでいたミコト達を連れて、みたりの御川が西の川に注ぐ小さな滝口に向かった。
「ここよ。・・今は、御川の水がないから、ほら、ずっと奥までいけるでしょ。・ほらここよ。」
イツキは、滝口近くにまで進んで、足元を指差した。小さな滝口は今は枯れている。西の川へ注ぐあたりに、黒い砂がこんもりと溜まっていた。アラヒコは、その砂を一掴みすると、じっと見つめた。
「ああ・・確かに、さっきの黒い粒とそっくりだ。だが、どうしてここに?」
そこへカケルもやってきた。村に戻った時に、イツキがミコト達を連れて行ったと聞きやってきたのだった。
「おお、カケル。・・どうだ・・どう思う?」
カケルも、アラヒコと同じように、足元の砂を掬ってみた。そして、巻物を広げた。
「そうか・・きっとこれが砂鉄だね。ほら。」
そう言って、巻物を広げて、絵地図を指差した。
「巻物には、この村を中心にこのあたりの地を書いていて、タタラ場の跡も、洞窟も、温泉も、印がついていたんだ。そして、ここも、タタラ場や洞窟とおんなじ印がついている。・・たぶん、洞窟で掘った砂から砂鉄だけを取り出すために、御川の水を使ったんだ。・・そして、砂鉄だけがここに溜まったんだよ。」
「そういうことか・・なら、ここの砂を掘れば良いってことだな。・・冬には御川も水が枯れる。流れのある時に洞窟で砂を掘り、流れに溶かし、水が枯れてから溜まった砂鉄だけを集めたんだな。・・ふーん、そういうことか。よし、じゃあ、ここの砂を集めよう。」
これで、ハガネ作りに必要な材料が揃った。

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-帰還-13.ハガネ作り [アスカケ第1部 高千穂峰]

13.ハガネ作り
タタラ場には、村のミコト達や女たちも集まっていた。
ハガネを作る材料の砂鉄も、大量の炭も、タタラの脇に置かれている。カケルは巻物を広げ、鋼の作り方を今一度頭に入れようとしていたが、皆の視線を強く感じて緊張していた。
長老が皆の前に立ち、宣言する。
「これより、ハガネ作りを始める。いにしえより伝わりし術であるが、今や誰も知らぬ。カケルが館で巻物を見つけ、このタタラ場や砂鉄の在り処を見つけた。ミコトたちも合力して、いよいよ段取りは整った。良いか、皆のもの、このハガネ作りは、一族に災いを呼ぶやも知れぬ。じゃが、わしは決めたのだ。一族の未来を担う、アラヒコやカケルに希望を託し、ハガネ作りでこの村が今よりも豊かになることを信じようと。」
長老の言葉に、村の皆が歓声を上げた。そして、長老はカケルを促した。カケルは、皆の前で、ハガネ作りの段取りを説明した。
「これは、タタラという。ここに炭で火を起こし、少しずつ、砂鉄を降り注ぐ。砂鉄は炭の火で焼かれ、真っ赤になって熔ける。そして、その真っ赤になったものを冷やし固め、叩き、また焼き、何度も何度も繰り返すと、やがて、黒く硬いハガネになる。」
皆、カケルの言葉を熱心に聞き入った。その時、数人のミコト達が、麻布に包まれた長いかたまりを運びこんできた。その後を、巫女セイが入ってきた。ミコト達は荷物をタタラの前に下ろした。
「これは、祭壇の下にしまわれておったものじゃ。代々の巫女が語りついできた一族の秘密でな。剣とともに大事にしまわれておった。おそらく、ハガネ作りに必要な道具であろう。」
そう言って、麻袋を開くと、中には、鉄鋏や槌、タタラの中をかき回すための棒等であった。カケルは、その道具を一つ一つ見ながら使い方を考えた。
「この道具は、おそらくいにしえ人が大陸から大切に持ち込んだのではなかろうか。」
「ありがとうございます。きっと役に立つはずです。」
カケルは答えた。その様子を見ながら、アラヒコが掛け声をかけた。
「よおし!始めるぞ。」
タタラの口から炭が入れられ、火が灯された。だが、それは、篝火よりも小さく頼りないものであった。
「おい、カケル。こんな小さな火で大丈夫なのか?」
アラヒコが少し不安になり訊いた。カケルも、こんな小さな火では砂鉄を燃やす事などできないだろうと感じていた。だが、炭を増やしたところで変わりようはない。長老が言った。
「火を強くしたいなら、強い風が必要だ。炭焼きでも、最初は大きな火が必要だから、風を送るのだ。・・きっと同じ要領でやればいいのではないか。」
そう言って、長老がタタラの口の前に立ち、炭焼きの要領で、筒を火口に入れ強く吹いた。一瞬、火が強くなった。
「もっともっと強い風を送らなければだめだな。」
そういうと、ミコト達も、辺りの竹を切り、節を抜き、筒を作り火口に突っ込んで吹き始めた。徐々に、炎が大きくなってきた。皆で入れ替わり息を吹き込む。やがて轟々と音を立てる程に炎が立ち上った。
「よし、そろそろいいんじゃないか?」
アラヒコがそういうと、タタラの上の口から、カケルが少しずつ砂鉄を入れ始める。砂鉄を入れると炎が小さくなる。また、強く息を吹き入れる。また砂鉄を入れる。何度か繰り返した。
「カケルよ、火の番はどれくらい続けるのだ?」
「巻物によると三日三晩炊き続けるとあります。」
「三日三晩?・・・」
辺りにいたミコト達も仰天した。気を許すとまた炎が小さくなる。慌てて息を吹き込んだ。
「よし、腹を決めよう。・・ミコト達はこれから交代で火の番だ。女たちは、飯の支度をしてここへ運べ。子どもらは、村の仕事をやるのだ。・・とにかく三日三晩、ハガネができるまで皆で力を合わせるのだ。」
その声で、ミコト達は火の番の順番を決め、女たちは村に戻り、食事の支度を始めた。子どもたちも、村に戻り、それぞれできることを分担した。
やがて日が暮れ、月夜になった。タタラ場はある辺りは、タタラの火が燃え盛る事で獣は恐れて出てこないだろうが、村からタタラ場までの道は暗闇である。皆、惧れを抱きながら、村とタタラ場を行き来した。

火を入れて4日目の朝。ミコト達は皆疲れ切っていた。タタラのまわりで、横になる者、座り込んで眠っている者もいた。カケルはタタラに火を入れてから一睡もしていない。アラヒコはカケルの体を心配して休むように諭したが、とても眠れる精神状態ではなかった。
朝日がタタラ場に差し込んできた。炭も燃え尽き、時々、ぱちぱちという音はするが、小さくなっていて、静かになった。
皆が見守る中、カケルはタタラの下の口を差し棒を使って壊し始めた。タタラの下に溜まっているはずの真っ赤に焼けたハガネの元を取り出すのだ。ゴツゴツと何度か叩くと、タタラの一部が割れた。そして、そこから、真っ赤に焼けどろどろになったものがゆっくりと流れ出してきた。タタラの前に掘られた窪みに、徐々に溜まり始めた。みていた者全員がどよめいた。窪みにわずかにある水分と触れると、ジュッという音がする。まるで生き物のように、いや、真っ赤な大蛇がのた打ち回っているようにも見えた。

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-帰還-14.カケルの秘密 [アスカケ第1部 高千穂峰]

14.カケルの秘密
「カケル、少し休みなさい。」
巫女セイが声を掛けた。
「ああ、ここまで出来たんだ。こいつが冷えるまではどうしようもない。しばらく休むほうがいい。これからが大変なんだろ?」
アラヒコにも言われ、カケルは休む事にした。すぐに、娘たちが、周りの草を刈り始め、山のように積み上げ、その上で麻袋をかけて、カケルが横になれる場所を作った。カケルは、そこに横たわると、ようやく安堵したのかすぐに寝息を立て始めた。
その様子を見ながら、長老が言った。
「随分疲れたのだろう。ゆっくり休ませてやったほうが良い。さあ、皆は村に戻るのじゃ。」
長老の言葉に、村の者は、カケルの寝顔を覗きながら、徐々に村に戻っていった。
長老は、アラヒコのほうに向き直ると、
「さて・・この先どうしたものか。・・このハガネを使い、何を作るか。」
とアラヒコに問う。アラヒコは、
「それを今、思案していました。村の役に立つものをとカケルは言っていましたが・・・。」
「・・カケルはいずれアスカケに出るであろう。お前もそうであったが、アスカケには命を脅かす事も少なくない。・・お前の話では、隣のヒムカの国では戦への備えもしておると言う。・・カケルの身を守る道具を作るのもひとつじゃな。」
父ナギも長老の話を聞き、
「ええ・・カケルの持つ小刀では心許ないとは思っていました。・・・カケルの持つ小刀は、畑仕事みたいな場には役立つでしょう。・・ただ、カケルはそういうものを持つかどうか・・・。」
アラヒコが言う。
「ならば、こうしたらどうだろう。祭壇にある大剣が我らの守り神であるように、このたびのハガネも同じように剣を作ろう。カケルがアスカケに出る日まで、大剣とともに祭壇に置き、カケルが旅立つ日に持たせてやってはどうか。」
それを聞いて、父ナギが答えた。
「・・ええ、それが良いでしょう。カケルがアスカケに出るにはまだ三年あります。それまで、皆の守り神として置きましょう。」
そう言って、カケルの寝顔を見ながら笑った。
長老は、真顔になって続けた。
「それにしても、カケルは我らの思う以上の力を持っておる。八つの頃、サチを引かせたら干し肉を射抜くほどの力があった。・・その力を見たとき、しばらく封印せねばと思ったほどじゃ。・・それに、あの、鷹さえ手懐け、指笛ひとつで思うままに操る。古い書物も読み解き、温泉や薬草を見つけ、さらに、ハガネ作りもやってのけた。」
「頼もしいミコトに育ちますね。」
アラヒコが言う。それに長老が、
「・・ああ・・だが、わしはカケルが我が村に留まるとは思えんのじゃ。こやつのアスカケは、この小さな村ではなく、もっともっと広い世にあるのではないかと思うのじゃ・・・。」
「確かに、ヒムカの国で聞いた話でも、海を越えたくさんの渡来人が、ヤマの国や、アナトの国にもたくさんやってきているようです。・・あちこちで戦になる日も遠くないでしょう。おそらく、カケルがアスカケに出る頃には、戦の最中を旅する事になるでしょう。カケルの力を求める国も多いかもしれません。」
父ナギが思い切ったように言った。
「・・長老、アラヒコ、お二人には話しておかねばならないことがございます。」
「なんじゃ?」
「長老様はご存知でしょうが・・わが妻ナミは、ウスキの村の生まれです。」
「ああ・・承知しておるが・・」
「実は、ナミをこの村に連れて来たのは訳がありました。・・・ウスキの村は、ここと同じ隠れ里です。ヒムカの国にありながらも、外界とは隔絶しています。・・実は、あの村は遠く邪馬台国の王の一族が、混乱を逃れ隠れ住んだところなのです。一族は、いつの日にか邪馬台国を再興したいと考えておりました。ナミもその願いを幼き頃から教え込まれております。」
「邪馬台国の王の一族とは・・・。」
「はい。ですから、ナミはカケルが幼き頃より、文字を教えてまいりました。いずれ、カケルがアスカケに出る日に、ナミはカケルに邪馬台国の話をするつもりでしょう。」
「そうであったか・・・。確かにカケルの恐ろしき程の力が、乱れた世を治める事もできるやもしれぬな。・・邪馬台国も今一度豊かな国になるかも知れぬ。」
「・・まだ、カケルに教えるには時が早すぎます。どうか、この話、長老様とアラヒコの胸のうちにしまって置いていただきたいのです。」
「判った。」「承知した。」
三人がそういう会話をしているうちに、カケルが目を覚ました。
カケルは、ふっと起き上がると、真っ先にハガネの様子を見た。そして、ナギやアラヒコ、長老を見て言った。
「鉄バサミと槌を持ってきてください。そして、火を起こしてください。・・・冷え切る前に、このハガネをもう一度焼き、叩き、伸ばし、自在に形を変えるものにせねばなりません。」
カケルは、眠りに落ちていながらも、次にすべき事を考えていたようだった。
「よし・・やるか!」
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-帰還‐15.火照ばしる [アスカケ第1部 高千穂峰]

15.火照ばしる
タタラの周囲を探すと、平らな大きな石が転がっていた。ナギが、タタラの前まで運び据えた。
長老が鉄バサミを使って、やや赤色が収まったハガネの塊を掴み、石の上の置く。
「さあ、カケル、どうする?」
「その槌を使って、ハガネを打つのです。」
「よし!」
アラヒコが槌を振り上げハガネに振り下ろす。カンという甲高い音がして、辺りに真っ赤な火の粉が飛び散り、腕や足に当たった。
「熱い!」
長老も、アラヒコも、ナギも、カケルも驚いて飛び退いた。
「こりゃいかん。皆、ハガネの火の粉で焼かれてしまうぞ。・・何か・・・おお、そうだ。その麻袋を足と腕に捲きつけよう。少しは違うだろう。」
ようやく支度が整い、今一度、打ち始める。火の粉を散らしながら、徐々に、ハガネは板状になっていく。徐々に冷えて硬くなる。タタラに起こした火に差込み、焼いて、また叩く。伸ばしたハガネを折り曲げ、また叩く。アラヒコの腕はパンパンに膨れていた。
「よし、変わろう。」
ナギがそう言って、槌を受け取り、カケルも長老から鉄鋏を受け取り交代した。そうやって何度も何度も叩いた。そのうちに、ハガネを叩く音が変わってきた。最初のうちは、カンとかゴンとか少し濁った音だったが、徐々に高くなり、終いには、キンという音に変わった。色も最初は混ざり物が多かったのか、ところどころで色が違っていたのだが、ほとんど、銀色から白銀色に変わってきていた。どのくらい叩き伸ばすべきなのか、その加減がわからないまま、交代しながら叩き伸ばし、焼き、折りたたみを繰り返した。何度か、交代し、カケルが槌を振り下ろした時だった。これまでより更に高い、キーンと澄んだ音が辺りにこだました。そして、台にしていた大石が真っ二つに割れてしまった。
見ると、ハガネは、細い棒状になっていて、ちょうど、カケルの腕の長さほどになっていた。
「もういいだろう。きっと今の音が最後の仕上げの音に違いない。」
長老がゆっくりと鉄バサミでハガネを持ち上げた。
「うむ、良い長さじゃ。」
「すぐに冷やしましょう。・・・身を締めるために水に入れるとあります。」
「おお、そうか。」
近くに汲み置いていた水がめに、そのまま差し込むと、白い蒸気を発して冷えていった。
取り出すと、まだ少し温かさが残ったハガネは、銀色に輝いていた。
「これで、剣を作るのじゃ。」
長老の言葉に、カケルが抵抗した。
「いえ。剣ではなく、畑で使える包丁を・・」
「なあ、カケルよ。先ほど、お前が眠っている間に、ナギやアラヒコとも相談したのだが、最初に出来たハガネだ。山の神、地の神、火の神、水の神、全ての神の力を戴き出来上がったものなのだ。だからこそ、最初は、剣を作るのだ。今、祭壇に祭られている大剣も、おそらく古の人が神にささげるものとして最初に作ったに違いない。我らも、長い年月を経て、ようやく作れたハガネは、まず神に奉げるべきではないか。そして、我が村を守る神の力を今以上に強くするものとしたいのだ。」
「ですが・・・」
カケルは少し思惑が違って戸惑っていた。その様子を見たナギが言った。
「カケルよ。お前の力で、ハガネの作り方はよくわかったのだ。これから、ミコトの力を合わせれば、また、ハガネは作れる。初めてのハガネはやはり神に奉げるべきではないか?」
アラヒコも同意し、カケルの肩を掴んだ。そして、
「カケル。このハガネにはまだ、剣としては出来上がっていない。これから、時間を掛けて、磨き、刃をつけなければならない。・・・祭壇の大剣をしっかり見て、お前が磨き、仕上げるんだ。」
長老や、父ナギ、アラヒコに言われ、カケルは承諾した。
「さあ、カケル。それをもって館にいくのじゃ。そして、巫女の御祓いを受けるのだ。山の神、地の神、火の神、水の神、八百万の神の許しを得て、お前の手で剣に仕上げよ!」
長老に言われるまま、カケルはハガネの棒を抱えて、館に走った。

カケルが去ったのを見て、長老が言った。
「ハガネ作りはそう何度も出来ぬぞ。」
アラヒコが驚いて長老の顔を見た。
「見よ、この辺りを。タタラの周りの木々は、炎で焼かれおかしくなっておる。炭を作るにもたくさんの木を切り払った。・・砂を取るためにも、水足の御川にたくさんの土を流したであろう。・・こうした事を続ければ、この村の森や川を傷つけ、いずれは我らの村は滅びるに違いない。よいか、アラヒコよ。ハガネ作りは、特別な時にのみ行うのじゃ。」
長老の言う事は正しかった。村を上げ、三日三晩、火を起こした。その間、みな、日ごろの仕事が何も出来ずにいた。ハガネ作りは、村の皆も疲弊させることになったのだった。

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-帰還‐16。剣を削る [アスカケ第1部 高千穂峰]

16.剣を削る
カケルは、出来上がったハガネを大事に抱え、館に着いた。
「巫女様!・・セイ様!・・ハガネが出来上がりました。」
館の祭壇の前で祈りを奉げていた巫女セイがゆっくりと立ち上がり、カケルのほうを向いた。カケルは、ハガネをセイの前に差し出した。セイは、一瞬怯えるような表情を見せ、
「カケルよ、それは祭壇に供えるのじゃ。」
ゆっくりと祭壇の大剣の前にハガネを置いた。セイはその前に座り、一心に祝詞をあげた。そして、カケルのほうに向き直り、こう言った。
「このハガネには、山の神・地の神・火の神・水の神・・八百万の神の力が宿っておる。大剣に負けぬほどの力じゃ。・・まだ、生まれたばかりでその力は芯の奥に眠っておるはずじゃが・・ワシにはとても強く感じる。・・・お前の力で、このハガネを研ぎ、剣にするのじゃ。村を守る大きな力を持つ神器となるはずじゃ。」
カケルは、次の日から、剣(つるぎ)の仕上げに入った。館にある書物を読み漁り、ハガネを研ぐ技を探しあてた。砥石を用いてハガネを磨き、削るのだとわかったものの、肝心の砥石がどんなものかわからなかった。麻袋に入れたハガネを抱え、村の中や外にある様々な石にハガネを当ててみたが、硬く強いハガネに傷すらつかなかった。西の川で魚を取ることも、イツキとともに畑に向かうこともなくなり、ただひたすら剣を研ぐための石を探し続けていた。

もう冬も終わり、春真っ盛りの季節になっていた。
ある日、カケルは、みたりの御川の水穴の傍に座り込んで途方に暮れていた。みたりの御川の水穴(噴き出し口)には、まだ、水は流れていない。よく見ると、その穴の一番手前に、ひとつだけ真っ白な石があった。そして、その石は、上の部分が何かに削られたように平らになっていた。カケルは駆け寄り、その石をさらに丁寧に見た。ちょうど、ハガネを両手に持ち、その石に当てるような按配で立てる形になっていた。まさかと思いつつも、カケルは麻袋からハガネの棒を取り出すと、その石に当てて、ゆっくりと押してみた。しゃりしゃりという音とともに、白い石の上が黒くなった。ハガネを持ち上げてみると、石に当てた部分がわずかに削られ、光っている。二度三度と同じように当ててみた。確実に、ハガネが削られていくのが判った。
「これが、砥石だ。・・・おそらく、いにしえ人もここで剣を磨いたんだ。」
そう確信すると、カケルは一心にハガネを研ぎ始めた。

日が暮れ、辺りが夜になっても、カケルが家に戻ってこないのを心配して、ナギはカケルを探しに出た。村のものも心配して、松明を持って村の外も探し始め、みたりの御川の水穴の前で、一心不乱に砥石に向かってハガネの磨くカケルの姿を見つけた。カケルは、月の光を頼りに磨き続けていた。その姿は、なにか魔物が取り付いたように、薄暗い中でぼーっと青白い光を発しているようにも見え、声が掛けられない。
ナギたちは、水穴の周りに松明を立て、明かりを増やしてやった。そして、カケルが研ぐのを止めるまで傍で見守ることにした。

夜が明け、朝になり、また夜を迎えた。カケルはただ黙々と削りつつけていた。
イツキは、昨夜カケルの様子を人伝に聞き、日が昇ると同時に起き、カケルのために、朝飯を用意してやってきた。必死にハガネを削る姿を見つつ、何度か村と水穴を行き来した。二日目の夜が明けた時、イツキが祠の前に来ると、ナギやアラヒコたちは、祠の前でうとうととしていた。水穴の前にカケルの姿はなく、白い岩の上には研ぎ澄まされ、銀色に鈍い光を放つ「剣」だけが置かれていた。イツキは、カケルの姿を探した。一晩中、研ぎ続け、体力も限界になっているはずだった。
「カケル!カケル!」
イツキの声に、ナギやアラヒコが起きた。
「どうした?カケルは居ないのか?」
みたりの御川には水は流れていないので、流されたわけではない。どこに行ったのか、ナギやアラヒコも辺りを探した。だが、カケルの姿は見つからない。
一旦、水穴のところに戻ってきて、砥石の上に置かれた<剣>を改めて見た。両刃で先端に向けて細身に削られている。祭壇にある<大剣>の半分ほどの大きさだが、比べ物にならないほど鋭さと妖しさを見せている。ナギもアラヒコも、その<剣>に触れることが出来なかった。神々しいほどの力を感じ、近寄る事さえも憚られるようであった。
「あ!あそこに!」
水穴の傍でイツキが叫ぶ。指し示すほうは水穴の中だった。ナギとアラヒコが覗き込むと、カケルが水穴の底にわずかに溜まった水に浮いていた。手を伸ばしても届く距離ではない。
「生きてるだろうな。」
アラヒコが口走る。イツキが慌てて、カケルを呼ぶ。だが、カケルは反応しない。疲れきっているのか、眠っているのか、半身を水にいれたまま動かない。
「あそこから引き揚げるのは無理だな。」ナギが言う。「どうする?」アラヒコが問う。
「カケルが目を覚ますのを待つしかあるまい。自力でこの穴を登ってくるまで仕方ない。」
「しかし・・この剣・・どうだ?・・俺は初めてこんな剣を見た。何か魔物のような恐ろしさを感じるが・・・」アラヒコが言うと、ナギも、
「いや・・俺もそうだ。・・何とか、館へ持って行き、御祓いをしてもらったほうが良さそうだ。」

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-帰還‐17.宙を舞う [アスカケ第1部 高千穂峰]

17.宙を舞う
カケルは、一陣の風を感じた。砥石に一心不乱に向かっていたが、その風に手を止めた。顔を上げると、青い衣服をまとった大男がそこに居て、カケルを睨むように仁王立ちしている。頭髪は両脇で二つに束ねられ、顔はひげで覆われ、太い眉と強い眼差しは、常人とは思えなかった。何より、その男は、祭壇に祭られているはずの<大剣>を右手に持っていたのだ。
「貴方はどなたですか?」
カケルは訊こうとしたが声が出ない。そのうち、男が<大剣>を高く掲げると、体が宙に浮き、驚くほどの速さで高く舞い上がった。見上げたカケルも後を追うように宙に舞い、気がつくと高千穂の峰の、空高くに達していた。カケルは見下ろす風景の大きさに、声が出なかった。次に、男は高千穂の峰の北を<大剣>で指し示すと、また驚くほどの速さで飛んでいく。眼下には、アラヒコの話に聞いた「火の山」が見えていた。その先には、まばゆく光る平原が続いていた。
このようなことが現実に起こるはずはないとカケルは気づいていた。夢の中にいるのだと判り、落ち着きを取り戻した。そして、遥か上空から見える風景を楽しむように、その男の後を飛んでいった。
やがて、青い海が見えてきた。<これがアラヒコ様が言っていた海というものなのか>
そう考えていると、その向うに黄色い大地が見えてきた。見たこともない大きな村や建物も見えた。<これはきっと大陸なのだ>
夢の中にいるとしても、まだ見たこともない風景をどうして思い浮かべる事ができるのか、やはりこれは夢ではなく、この男の力によるものではないか、この男は何者なのか・・そう考え始めた時だった。急に、男の姿が消えた。そして、今まで、風のように軽かった体が急に重くなり、高い空の上から、真っ逆さまに落ちていく。遥か下にはナレの村が見えてきた。カケルはそこで意識を失った。

「カケル!カケル!」
朝からずっとイツキはカケルに声を掛け続けている。もう声も枯れ果てていたが、それでもカケルを目覚めさせようと必死だった。もう夕方近くになっていた。カケルがようやく目を覚ました。水穴の中にいるのだと判るまでしばらく時間が掛かった。イツキの声が聞こえ、カケルは少しだけ手を上げた。
「・・カケル・・目が覚めた?大丈夫?」
イツキの声がたいそう心配気なのは良く判った。
「ナギ様、アラヒコ様、カケルが目を覚ましたようです。」
「おおそうか。・・自分で上がってこれるだろうか?」
カケルが目覚めた話はすぐに村に伝えられた。村に居たミコトや女たちもカケルを心配して水穴まで続々と集まってきた。巫女セイも現れていた。
カケルは、穴に落ちた時、腰を強く打ったようだった。痛みでなかなか起き上がれなかった。それでも何とか穴から這い出ようともがいていた時だった。水穴の奥のほうから風が吹き出した。そして、徐々に轟々という音が穴を伝わって聞こえてきた。水穴の周りに居た村人にもその音は聞こえた。
「みたりの御川の水柱が立つぞ。」
巫女セイがそういい終わらぬうちに、穴の中のカケルの足元に冷たい水が上がってきた。
「あっ!」
カケルがそう叫ぶよりも早く、水穴から勢い良く水が噴き出し、カケルは強い水の力に押されるように穴から飛び出した。その様子を見ていた村人は、一斉にみたりの御川へ飛び込んで、カケルを救おうとした。流されるカケルをどうにか掴まえて岸辺に上げたのだった。

徐々にみたりの御川は流れを緩め、静かさが戻ってきた。岸辺に横たえられたカケルは、少しだけ頭を上げて、周りを見た。自らが研ぎ磨いた<剣>の行方を捜しているのだった。
その様子に気付いたアラヒコが、「剣か?」と言って、同じように辺りを探した。
噴出した水の勢いで、砥石の上に置かれていたはずの<剣>はどこかに流されてしまったのか、すぐには見つからなかった。
「あれ!」
イツキが指差した先は、水穴の横の盛り土に設えられた祠であった。見ると、祠を貫く形で、<剣>が突き刺さっていた。村の皆は、「水神様を剣が貫くなどなんと怖ろしき事か」と驚き、その場に平伏してしまった。
黒雲が湧いてきて、ごろごろと音を立て始めた。山裾では、夕立とともに雷雲が起こることは珍しいことではなかったが、この時はいつもとは違っていた。遠くの山々は、陽が射しているのに、村の皆がいる、みたりの御川あたりだけに雷雲が立ち上っているのだった。そのうちに、稲光が見えた。ごろごろという音とともに眩いほどの光が走る。
天変地異が起きたような、怖ろしい光景になっていた。何度か稲光が走った後、あたり一体を劈くような轟音が走り、稲妻が落ちた。痺れるような感覚を村人全員を包み込んで、立っているものは一人もなく、皆、横たわってしまった。
しばらくして、一人ひとりと、村人が目を覚ました。そして、声を上げた。
カケルが作った<剣>が、祠とともに火に包まれていたのだ。稲妻が<剣>に落ちたのだった。
巫女セイは、どうにか立ち上がり、<剣>に向って祈りの言葉を奉げ始めた。カケルがその声を聞きながら立ち上がり、何かに誘われるように真っ赤に燃えている<剣>に近寄っていく。そして、炎に手を差し入れて、<剣>を掴むと、力を込めて引き抜木、天に翳した。
村人たちは、カケルの中に、神を見るようにじっと見つめていた。

阿蘇山.jpg

-帰還‐18.伝説の勇者 [アスカケ第1部 高千穂峰]

18.伝説の勇者
カケルは、剣を抜き高々を掲げた後、意識を失い倒れてしまった。アラヒコとナギが駆け寄り起こそうとしたが、ピクリとも動かない。剣はカケルの右手に握られたまま離れなかった。アラヒコとナギが、カケルの体を抱え、村まで運んだ。
一旦、館に運び込み、巫女セイが祈りはじめた。ようやく、カケルの手から剣は離れた。
<剣>は、館の祭壇に納められた。<大剣>と並べられた<剣>は、暗い館の祭壇にあっても、鈍い光を放っているように見え、剣自体が生きているようにも感じられた。
「まことに、怖ろしき剣となったものじゃ。山の神、地の神、水の神のみならず、雷の神、火の神までもがこの剣を畏れておる。」
巫女セイは、吐き出すように言った。
「いや・・剣ではなく、カケルのほうが怖ろしき力を持っておるはずじゃ。わしは、雷に焼かれた剣を引き抜き天に翳す姿を見たとき、我が一族の祖、ニギ様の事を思い出しておった。」
長老が、カケルの脇でしみじみと言った。

ニギ様とは、ナレの村の一族の祖であり、殷義というのが本当の名前である。
大陸の内乱の時代に、迫害を恐れた殷一族は、海を渡り倭国へ逃れた。
当時、権勢を誇っていた邪馬台国の王を頼ったが、まもなく王が倒れ、邪馬台国も乱れた。
殷義は、九重連山を超え、高千穂峰の麓に隠れ里を作り、一族は静かに暮らすようになった。
しかし、この頃、高千穂峰は度々噴火し、灰が降り積もり、農作物も狩猟の獲物も不足する年があった。

殷義は、山の神を静めるため、一人、道なき道を進み、高千穂の峰に登った。
そして、その山頂に辿り付いた時、腰に差していた大剣を抜き、神に祈りを奉げ、その大剣を山頂につき立てたのであった。その時、雷鳴が響き渡り、雷が殷義の体を焼いた。そして、そのまま、火を噴く火口に落ちていった。
殷義は、自らの命を奉げることで、山の神を鎮めたのであった。

一族には、この殷義の行いが巫女により口伝され、アスカケに出る若者を送り出す際に、語られるのであった。
剣を天に翳すカケルの姿が、伝説となった殷義・・ニギに重なったのである。

皆の心配を他所に、カケルは3日間も眠り続けた。
巫女セイは、朝な夕なに祈りを奉げていた。
4日目の朝、カケルは目を覚ました。
「セイ様・・・」
カケルの声を聞き、セイは祈りを止めた。
「おお、カケル。気がついたか・・・どうじゃ、具合は?」
「・・もう・・大丈夫です。」
そう言ってカケルは起き上がろうとした時、右手に痛みを感じた。
「お前の右手は、焼ける剣の熱でやけどをしておるのじゃ。お前は覚えておらぬか?」
カケルは記憶を辿ってみた。ハガネを持ち、みたりの御川の傍で、砥石を見つけた辺りまでは覚えていたが、その後の記憶が曖昧だった。ただ、大男と空を飛んだ事だけは鮮明に覚えていた。
「見よ、お前が仕上げた剣じゃ。」
祭壇に祀られた剣をセイは指差した。
「怖ろしき力を持つ剣じゃ。大剣以上の力であろう。今しばらく、ここに置き、我が一族の守り神とすることにした。」
カケルは立ち上がり、剣の傍に行って、そっと右手を伸ばした。暗闇の中で、カケルの右手の指先が、青白い光に包まれ、それが伸びて、剣に向かっている。カケルの体に、びりびりとした衝撃が走り、髪が逆立った。カケルは、剣の柄を握った。体の中に熱いものが噴き出してくる感覚に包まれる。見ると、大剣も同じように光を纏っている。
尋常ではない様子に気づいたセイが大きな声でカケルを制止した。
「止めるのじゃ!カケル!」
はっと我に返ったカケルが剣を手放した。
カケルはじっと手のひらを見た。火傷の痛みを感じていたはずの右手が、すっかり治っている。
「怖ろしき剣じゃ・・・カケルよ、この剣を持つにはまだ早いようじゃな。さあ、動けるのなら、家に戻れ。ナギもナミも、イツキもしんぱいしておるじゃろうから。」

剣に触れたことで、手の傷だけでなく、体全体に力が漲っているようだった。
館の扉を開け、表に出た。まばゆい陽の光を浴びながら、カケルは家へ向かって走った。

あの日以来、カケルの中には、確実に何かが宿ったようだった。
高千穂の峰をじっと見つめながら、その先にあるまだ見ぬ世界を想像し、いつかそこへ旅立つのだという確信のようなものが生まれていた。

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-旅立ち‐1.ケスキの帰還 [アスカケ第1部 高千穂峰]

1.ケスキの帰還
 カケルは15歳を迎えた。<剣>の一件以降、村は普段の暮らしに戻り、カケルもイツキも以前のように、村の仕事を手伝い過ごしていた。ただ、15歳を迎えた男子は、誰もが「アスカケ」の事を考え、悩んでいた。カケルも、同い年のエンも悩んでいた。村人たちは、掟に従い、アスカケに出る歳になった男子に、敢えて、その事を問わない事にしていた。アスカケは、自分を見つけるための旅である。他人に急かされる類のもののはない。自らの意思で決める事が最も大事な事なのだ。
 春を迎えた村では、畑仕事で皆汗を流していた。冬に耕し、種まきを済ませた畑には、新芽がたくさん出ていて、雑草に埋もれてしまわぬよう、毎日の草取りと水遣りに村総出で取り掛かっていた。みたりの御川から水を引き入れ、田んぼの仕事も始まっていた。
 エンとカケルは、田んぼの水当番だった。田んぼを回り、ちゃんと水が入ってきているか点検し、畦が崩れているところを修復したり、稲の中に生えた雑草を取ったりする仕事で一日を過ごしていた。
 エンは、見回りの途中で、カケルに訊いた。
「カケル、・・・アスカケ・・・どうする?」
カケルは、水の具合を見ながら、ぼんやりと答える。
「ああ・・今、考えているところだ。」
「・・俺は、夏の前には行こうと思う。」
「そうか・・じゃあ、そろそろ、巫女様にお話しないといけないな。」
「・・ああ・・弟たちも・・来年、再来年・・続いてアスカケに行く。俺が迷っていると弟たちも困るだろ。」
「で、お前はどこへ向うのだ?」
「・・ヒムカの国へ行ってみようと思う。」
「ヒムカの国か。・・アラヒコ様は、ヒムカの国は戦支度をしていていると話していたが・・・」
「そうだ。戦支度をしているところで試してみたい事がある。」
「何を試すのだ?」
「・・サチ〈箭霊〉の腕だ。・・俺の家は、父様も爺様も、弓作りをアスカケと定めてきた。小さい頃から弓の鍛錬をしてきた。この腕が、ヒムカの国の兵士たちと競えるほどなのか、試してみたいのだ。」
エンの父は、カケルにサチ〈箭霊〉を作ってくれたタカヒコだった。エンは小さい頃から弓に馴染み、おもちゃのようにしてきた。今では、村のミコトたちも一目億ほどの弓の名手であった。
「そうか・・それも良いだろう。・・お前の腕なら、ヒムカの兵士に負けるものでは無いだろう。」
「カケルよ、お前はどうするのだ?」
「ああ、行くなら、北が良いな。高千穂の峰の向こう、九重の山が連なる先へ行ってみたい。火を噴く山のその向こうに行ってみたいなあ。・・だが・・」
「どうした?・・アスカケに行かないつもりか?」
「いや・・・行くとしても・・まだ、先だ。まだ、今すぐ行こうとは思っていないのだ。」
「何だ。不安なのか?・・お前は俺より体も大きいし、知恵もある。お前なら大丈夫だろ?」
カケルは、剣の一件から一年で見違えるほど大人の体になっていた。背丈は、アラヒコを越えるほど大きく、村の男の中でも最も大きく、力も村一番、同世代の男の中でも抜きん出ていた。
エンには、カケルがアスカケに出ることに躊躇している理由がよく判らなかった。
「まあ、自分で決めるのが大事だ。」

「兄者、あの、ケスキ様が戻ってこられたぞ!」
エンの弟、ケンが田んぼに居る二人のところに駆けてきて、そう告げた。
二人は急いで村に戻った。
7年前、ケスキはアスカケに旅立った。岩を割る技を覚えるのだと南へ向ったのだった。
村に戻ると、皆がケスキを取り囲んでお祝いをしていた。ケスキの脇では、シシトとモヨもケスキを労わるように寄り添い、喜んでいるのが見えた。

ケスキは輪の真ん中に居て、大きな声で話している。
「ただいま戻りました。」
ケスキの顔は日焼けで真っ黒だった。大きな麻袋には、何か重そうな道具が入っているのが見えていた。腕も胸も、筋肉が盛り上がり、体のあちこちに傷跡もあった。
「俺は、海を越えて、瑠璃国で岩を割る技を覚えてきました。あの東の尾根にある大岩を割り、道を作る。あそこが通れれば、東の尾根の先にある広い土地を畑に出来る。これが俺のアスカケだと決めました。明日にも始めようと思う。皆も手伝ってくれ!」
ケスキの声は、異常なまでに高ぶっていた。
村の皆も、ケスキの声にこたえるように、気勢を上げて答えた。

「アスカケに出て、男は皆ミコトになる。。。よおーし、俺もアスカケに出るぞ!」
そばに居たエンも気勢を上げて、ケスキのそばに行き、帰還を喜んだ。
カケルは、その様子を見ながら、ため息を一つついて、喜びに湧く村人の輪から、そっと離れた。

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-旅立ち‐2.おがたまの木 [アスカケ第1部 高千穂峰]

2.おがたまの木
 その日の夜は、ケスキの帰還を祝って宴が開かれた。
アラヒコの帰還の時と同様、村の中央には大きな篝火がたかれ、酒や食べ物を持ち寄り、歌や踊りに興じながら、ケスキの土産話を聞いた。
ナレの村から南へ下り、火を噴く山の畔で、船に乗り、海を越えた先にある「ルリの国」。空の青よりも、もっともっと青い海に囲まれた小さな島々が点在する。ケスキは、その一番先にあるヨロという島まで行ったという。
その島には、大きな岩山が聳え立ち、島の人々は、その岩を切り、刳り貫き、様々なものを作っていた。
島の人間の話では、その昔、海辺に、島の長の家。いや、家というより宮殿があったという。その宮殿は、ひとつの岩山を削り、切り、刳り貫き、階段や門、家を建てるための場所等が設えられていたらしいのだ。
「それで、その宮殿を、お前も見たのか?」
ケスキの隣で話を聞いていたアラヒコが訊いた。
「いや・・少し昔に・・大きな地揺れがあって、大波に飲み込まれ、深い海に沈んだらしい。」
「なんだ・・昔話か・・・」
そう言って濁酒を口に運んだ。
「だが・・その島で俺は石切を覚えたんだ。明日にはその技を見せてやる。驚くなよ!」

賑やかな会話と歌が続く宴。カケルは、アスカケから戻ったケスキやアラヒコの笑顔が眩しすぎて、その場に居られなくなっていた。静かに席を立ち、家に戻ろうとしたところに、長老が声を掛けた。
「どうした、カケル。何だか元気がないようだな。」
「いえ・・」
「なんだ。ケスキの話に飽きたのか?」
「いえ・・遠く、海の向うにあるルリ国の話は面白かったです。・・・」
「何か悩んでおるようじゃの。」
長老の問いに、カケルはひとつだけ質問をしてみようと考えた。
「長様、ひとつお訊きしたいのです。」
「なんじゃ?」
「アラヒコ様がアスカケに出る時、寂しくはありませんでしたか?」
アラヒコは長老と巫女セイの子どもであった。
「ふむ・・男の子はみなアスカケに出るのがこの村の掟じゃ。・・アラヒコには、いずれこの村を治める長になってもらわねばならぬ。アスカケの厳しい旅で自分を鍛え直すことができるのだ。少しも寂しくはなかったぞ。」
「ですが・・戻れないかもしれません。命を落とす事もあると聞きます。」
「・・それは、アスカケに出る自分自身の定めであろう。・・アラヒコが長になる力や、それにふさわしいアスカケを見つける事ができなければ、途中で命を落としても仕方あるまい。」
カケルは、長老の言う事は尤もであり、予想していた通りの長老らしい答えだと思った。だからこそ、あえて訊ねたのだった。
カケルは家に戻ろうと足を向けたが、中に入る事ができず、家の横にあるおがたまの木に登り、空を仰いだ。
おがたまの木は、古くからこの地に生えていた。春に咲く白い花は可憐で良い香りを放つ。巫女セイは、先人たちの魂が遠い空からこの木を目指し、村へ戻ってくるのだと話してくれたことがあった。「魂を招く木」として、祭壇には一枝飾る事が多かった。
カケルは、高く伸びたおがたまの木の枝に座り、夜空を見上げていた。降るような星の下で、自分はこれから如何すべきなのか考えていた。
不意に、木が揺れた。思わずカケルは枝から落ちそうになる。下から誰かが登ってくる。
「カケル!どうしたの?」
やってきたのは、イツキだった。
「宴の途中で居なくなって・・」
「ああ・・ちょっとな。」
「アスカケの事で悩んでるんでしょ!怖いの?」
イツキは遠慮なしだった。
「別に、怖いわけじゃない!」
「じゃあ、行けばいいじゃない。カケルは村で一番体も大きくて力もあるんだし・・たくさん、奇跡も起こしてきたから、きっと誰よりすごいアスカケを見つけるはずよ。迷う事なんてないじゃない。」
「・・そんな・・お前みたいに、単純じゃないんだよ。」
カケルはそう言って、背を向けた。
「失礼しちゃうわ!・・・でも差、男の子って良いよね。アスカケに出られるんだから。私だって、行ってみたい。村の外がどんなところなのか、見てみたい。・・違う村の人にも会いたい。・・海だって、島だって・・イヨの国、ヒムカの国・・それに、邪馬台の地も見てみたい。私が男だったら、迷う事なんてないわ。」
イツキが言った言葉は、そのままカケルの夢でもあった。邪馬台の地、そしてその先の大陸へ、何度夢を見たことか判らない。だが、今の自分には、イツキのようにすっぱりと割り切ってアスカケに出る決心ができなかった。イツキの言葉は、カケルをますます苛立たせた。カケルは何も言わず、おがたまの木から飛び降りると家の中に入った。

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-旅立ち‐3.母の願い [アスカケ第1部 高千穂峰]

3.母の願い
家に戻ると、ナミは横になっていた。そっと家に入ると、母の様子を伺いながら、カケルは土間で縄作りを始めた。父ナギに教わった縄作りももう一人で立派に出来るようになっていて、最近では、腕力が強いカケルが太縄を作るようになっていた。カケルは無心になれる縄作りの作業が好きだった。
 ナミが目を覚まし、カケルに声を掛けた。
「おや・・帰ってきたの?宴はもう終わったの?」
「いや・・」
「ケスキ様は立派なミコトになったんだろうね。話は聞いたかい?」
「ああ・・」
カケルの返答が余りにもぶっきらぼうだったので、ナミは心配になった。
「どうしたんの?何かあったの?」
「いや・・何も・・母様の具合を見に帰ってきただけだ。」
カケルはナミのほうに向きもしないで、ただひたすらに縄を編んでいた。
「カケルももう15歳になるのよね。」
カケルは母の言葉が聞こえていたが、返答しなかった。
ナミには、カケルがアスカケに出ることに迷っているのが判っていた。そしてその理由が、自分にあることも知っていた。
「カケル、喉が渇いたわ。お水をくれない?」
カケルは返事もせず、甕に行き、水を掬って持ってきた。カケルはナミの体を抱き起こし、そっと水を飲ませた。ナミは、カケルの腕を摩り、優しく言った。
「お前は、小さい頃から、優しい子だったからねえ。自分の事より他人の事を先に考えてしまうから・・。」
そう言ってから、ナミはカケルの髪を触り、
「カケル、アスカケに行きなさい。おまえ自身のアスカケを探しに行きなさい。」
「いや・・いいんだ・・まだ・・時が来ていない。・・」
カケルはそう答えるのが精一杯だった。
「カケルは何を待っているの?・・・その時はいつ?」
「いや・・それは・・わからない・・ただ、まだ決心がつかないんだ。」
ナミはため息をひとつついてから、
「カケル、その時は、私が死ぬ時でしょう。」
その言葉がカケルに突き刺さった。
アスカケに出るのを躊躇っていたのは、確かに母の体の具合を心配していたのは事実だった。
一度アスカケに出てしまえば、すぐには戻れない。遠くに行けば、母の容態が悪くなったからといってすぐに戻れるものではない。おそらくもう母に会えぬかもしれない。そう考えると、旅立つ覚悟が出来なかったのだった。だが、それは、母の死を待つことに他ならない。だからこそ、カケルはアスカケに出る事を考えたくなかった。夢に出てくるまだ見ぬ遠い国への憧れは日に日に強くなっていたが、その事自体が親不孝のように思えて、とにかく考えないようにしてきたのだった。
「母の死を待つ事」と言われ、カケルは胸の中が焼けるように痛かった。ぐっと歯を食いしばり、吐き出しそうになる叫びを堪えていた。
「カケル。母の体はもう長くは持たないわ。お前たちが薬を見つけてくれなければ、もうとっくに死んでいたはずよ。・・今日まで生きてこれただけで充分だと思っているのよ。」
「・・何・・言ってるんだよ。」
そう言うと、母から離れようとした。
「まあ、お聞きなさい。・・もし、お前が私の体の事を心配して、アスカケに出る事に迷っているのなら、私はすぐにでも命を絶ちましょう。覚悟はできてるわ。」
「命を絶つって・・」
「この村に生まれた男の子は、いずれアスカケに旅立つと決まっているのよ。私はお前を産んだ時から、いつの日か立派な青年になってアスカケに旅立ってもらいたいと願ってきた。・・そして、いつか立派なミコトになって、この村を守ってもらいたいと・・・。ナギ様も同じ想いのはずよ。迷ってなんかいないで、自分の気持ちに正直になって。」
母は全てを見抜いていた。剣を作った時に見た幻の国への憧れはどんどん強くなっていた。一刻も早くアスカケに出たいと思っていたのも事実だった。だが、母への想いも真実だった。
「大丈夫。お前が、アスカケに出た後、私の命が尽きたとしても、私は悲しくない。・・いや、むしろその方が良いの。・・人は死ぬとどうなると思う?」
「土に還るんだろ。」
「・・そう・・体は土に還り、木や草の命に代わるの。・・でも、魂は体から離れて、風になるのよ。体から離れた魂は、風に乗って空高く登っていくの。そして高いところから皆を見てるの。・・だから、カケルがどれだけ遠くへ旅してもいつでも見つけられる。危ない目に遭いそうになった時は、風になって知らせてあげられる。だから、死ぬ事は怖くないのよ。」
母の優しい言葉に、カケルは声をあげて泣いた。ナミはカケルの肩を抱き、そっと撫でた。
「カケル、あなたがアスカケに旅立つ時、ひとつだけ、お願いがあるの・・・」
そう言って、内緒話をするようにカケルに耳打ちした。
カケルは母の願い事に驚き、母の顔を見た。
「そんな・・無理だよ。」
だが、母は、胸元から小さな首飾りを取り出してから、そっと微笑んだ。

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-旅立ち-4.決心 [アスカケ第1部 高千穂峰]

4.決心
翌朝、エンが高潮した顔をして、カケルの家に来た。
「どうした?エン。」
「俺、夕べ、長様に言ったんだ。」
「何を?」
「アスカケに出たいと言ったんだよ。・・それで、試しの儀式を受けるんだ。」
「いつ?」
「まだ、判らない。今日か、明日か・・待ち遠しいなあ。」
試しの儀式とは、アスカケに出ようと決めた若者の覚悟と力を試すために、村のミコトたちが館に集う儀式だった。どんなものなのかは、決して話さないのが掟だった。ただ、この儀式を受けて旅立つのを取りやめた者は誰一人なく、儀式が開かれるというのは、事実上、アスカケに出るという事に他ならなかった。
エンの様子を見て、カケルは昨夜の母の話を思い出していた。
「タカヒコ様やハル様は?」
「ああ、喜んでおられた。これで一人前のミコトになれる。俺の腕がどこまでのものか試す事ができる。・・カケル、お前も早くアスカケに出ろよ!」
そう言って、嬉しそうに帰って行った。

カケルは、母の言葉で、アスカケに出る覚悟は出来ていた。しかし、母からの願い事が余りにも途方も無いものであったために、再び、どうすべきか悩んでいた。
「カケル?エンが来てたでしょ?」
イツキが出てきた。
「ああ、エンが試しの儀式を受けるんだ。」
「へえ・・じゃあ、アスカケの送りをしなくちゃね。・・カケルはどうするのかしら。」
イツキはわざと意地悪くそう言ってから、家の中へ戻ろうとした。その腕をカケルは掴んだ。
「何?」
「ちょっと話がある。・・・来いよ!」
カケルは、イツキの腕を掴んだまま、大門を出て、みたりの御川の畔まで連れて行った。
カケルの態度がいつになく真剣で思いつめた表情であったために、イツキも大人しく着いていった。二人は御川の畔に腰を下ろした。
「俺も、夕べ、母様と話してようやくアスカケの決心が出来た。」
「え・・そうなの・・・」
イツキは少し寂しそうな反応をした。
「だが・・母様に一つ願い事をされた。・・」
「願い事?・・叶えてあげればいいじゃない。」
「ああ・・そうしたいのだが・・」
「何を迷っているの?」
「実は、・・母様の願い事とは・・アスカケにお前を・・イツキを連れて行けというのだ。」
イツキは驚いた。母様の願い事の意味がわからなかった。確かにイツキは以前カケルに、アスカケに出る男の子を羨ましいと言ったことはあったが、女がアスカケに出るなど、出来る事ではない事も充分判っていたのだ。
「どういう事?・・そんなの無理に決まっているじゃない。」
「ああ・・だが、そんな事より、お前はどう思う?俺と一緒にアスカケに出るのはどうだ?」
「それは・・・確かに、私も、ナレの村とは違う外の世界を見てみたい。海とか、船とか、ヒムカの国とかイヨの国とか。・・でも、そんなの無理に決まってる。長様だけじゃなく、村の皆が反対するわ。・・どうしようもない事だってあるでしょ。」
「そうか・・・」
「大体、どうして母様はそんな事を願い事にしたのかしら・・・」
カケルは、夕べ、母が見せてくれた首飾りを思い出しながら、どうしたものかと考えた。そして、
「お前は、アスカケに行かねばならない宿命(さだめ)なのだと母様は言ったんだ。」
「母様は、私の事がお嫌いになったのかしら・・・」
「そんなわけ無いじゃないか。」
「毎日、食事やお薬の事・・お体のことを考えて一生懸命やってきたわ。なのに・・どうして?」
イツキは混乱して、悲しみか寂しさか、それとも怒りなのか、判らない感情で心の中が一杯になっていた。そして、わっと泣き伏せてしまった。
そこに、長老が現れた。
「おや、どうしたのだ、イツキ。何を泣いておる?」
「何でもありません。」
イツキは短くそう返事すると、村に戻って行った。
カケルはイツキの後姿を見送りながら、決心した。
「長様、私もアスカケに出る決心が出来ました。試しの儀式をお願いします。」
長老は、じっとカケルの目を見て、その意志を改めて確認したうえで、
「そうか・・判った。それなら、試しの儀式を開こう。このたびは、特別にエンと二人一緒に行う事にする。そうだな・・明後日の夜じゃ。それまでにアスカケの支度をしておくが良い。」
試しの儀式を開く事はすぐに村のミコトたちに伝えられた。

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-旅立ち-5.親の役割 [アスカケ第1部 高千穂峰]

5.親の役割
イツキは、しばらく畑の仕事をして、夕方近くに、夕餉の支度のために家に戻った。
母ナミの願いの真意がわからず、また、どう切り出してよいものかもわからず、黙って、竃の前で食事の支度を始めた。ナミは、そんなイツキの様子から、カケルがアスカケの話をしたのを察した。夕餉の前には、必ず、ナミは、カケルとイツキが見つけてきた霊芝のせんじ薬を飲む事にしていた。
「イツキ、薬をちょうだい。」
そう言われて、イツキは、作り置きしてある薬を器に移して、お湯でゆるめてナミのところへ持っていった。ナミは自分では起き上がれないほど衰弱していたため、イツキがそっと背中を抱え起き上がらせてから、薬を渡した。ナミがゆっくりと、薬を飲む様子をイツキは見つめていた。
薬を飲み終わると、ナミはイツキに言った。
「カケルから、アスカケの事、聞いたわね。」
イツキはこくりと頷いた。その様子から、イツキが随分混乱している事もわかった。
「イツキ、今から言う事をしっかり聞いてね。」

ナミは、イツキをカケルのアスカケに同行させたい理由をゆっくり順を追って教えた。
しばらく、イツキは身じろぎもせずじっと考えていた。
「それが、私の定めなんですね。」
その言葉に、ナミは微笑んで答えた。
「・・・定めなどというものではないのよ。・・・これは、私の願い。・・カケルとともに行くかどうかは、貴方が決める事。貴方にも貴方のアスカケがあるはずだから。・・・ただ、わたしのアスカケは、貴方にこのことを伝える事だから。・・・私もそう長くは生きられないでしょう。その前に私のやるべきことをやっておきたくてね。・・ごめんなさいね。」
イツキは首を横に振りながら答えた。
「いいえ、私、カケルと一緒にアスカケに出たい。その先はどうなるかは判らないけれど、母様の願いは、私の願いです。村の人が反対しても、私は行きます。」
「そう・・大丈夫、きっと村の人たちも判って下さるわ。・・試しの儀式が開かれれば、すぐに出発よ。カケルとあなたの送りの支度をしなくちゃね。」
「はい・・・母様、何をすべきか教えてください。」
二人は、旅支度を始めた。そこに、カケルも戻ってきて、ともに支度を始めた。
父ナギは、タカヒコたちと一緒に、カケルとエンのための支度をし、夜遅くに家に戻ってきた。

カケルとイツキはすでに寝付いていた。
ナギは、ナミの横で荒縄を作っていた。
「それは何に使うのですか?」
目が覚めたナミがナギに訊いた。
「ああ、起こしたか。・・・巫女様が言われるには、あの剣をカケルに持たせてやるそうだ。・・もともと、カケルが作ったものだ。それにあの剣を使いこなせるのはカケルしか居らぬ。・・それで、剣の持ち手に、荒縄を捲いて使いやすくしてやりたいのだ。」
「・・それなら、その荒縄に私の髪を編みこんでもらえませんか?」
「黒髪を編みこむのか?」
「ええ・・私もカケルとともにアスカケに行けるような気がして・・・」
「いいだろう。・・よし、少し髪を切るぞ。」
ナギはそう言うと、ナミの長い黒髪を小刀で切った。
「俺の髪も編みこもう。」
二人の黒髪を荒縄に編み込み始めた。
「ナギ様、猪の皮はありませんか?その剣の鞘を作りたいのです。」
「鞘か・・・確かに、あの剣は懐にしのばせることは無理だ。・・確か、どこかにあったはずだ。」
寝床の横には、狩に使う道具と一緒に、獣の皮が置かれていて、そこをナギは探した。
「おお、あったぞ。・・こいつは丈夫だ。これならいいものが出来るだろう。」
そう言いながら、ナミを起き上がらせて、皮を手渡した。ナミは皮を受け取ると、細工を始めた。

「イツキのことだけど・・・」
「ああ、カケルとともに行かせたいのだろう・・。」
「私の命もそう長くないでしょう。でも・・・カケルもイツキも旅立ってしまったら、貴方一人になってしまいます。それが、私には辛くて・・・。」
「何だ、そんな事を気にしていたのか。・・お前の命が果てる事など考えてはならぬ。カケルやイツキが探し出した薬でどれだけよくなったと思うのだ。それに、あの温泉に入っていれば・・・まだまだ大丈夫さ。」
「でも・・」
「・・カケルとイツキが居なくなっても、俺がちゃんと面倒を見てやる。・・もともと、この地に連れて来たのは俺だ。・・ウスキの村でお前と出会い、お前の定めもちゃんと受け止めたのだ。そうやって、今日まで暮らしてきたではないか。今、大事な事は、カケルとイツキが、自らのアスカケを見つけられるよう、しっかり支度をしてやることだ。」
「ナギ様・・ごめんなさい。」
ナミは涙を流していた。ナギはナミに背を向け、荒縄を作りながら、涙を流していた。

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-旅立ち-6.遠い夢 [アスカケ第1部 高千穂峰]

6.遠い夢
朝から村では「試しの儀式」の準備が始まっていた。館には、長老やミコト達、女たちも集まって、掃除や飾り付けをしていた。そこへ、ナギがナミを抱きかかえて現れた。病に臥せってから、家から出るのは温泉に向かう時以外ほとんど皆の前に姿を見せなかったナミだったので、村の皆は、ナミが以前にもまして痩せている事に驚きを隠せなかった。
館に入ると、ナギが、支度をしている皆に声を掛けた。
「みんな、済まないが、儀式の前に聞いて貰いたいことがあるのだ。」
皆、手を止めた。長老がナギに訊く。
「どんな事じゃ。・・・皆、仕度ももう良かろう。集まれ。」
皆、館の広間に車座に座った。ナギはゆっくりとナミを床に下ろす。ナミは半ば這いつくばるような格好で、口を開いた。
「皆様、済みません。・・今日の儀式の前に、どうしてもお話しておきたい事があるのです。」
小さな声ながら確かな意思を感じさせるナミの話し方に、皆、耳を傾けた。
「イツキの事でございます。・・・イツキをカケルとともに、アスカケに出させていただきたいのです。」
「何を言っておる。カケルすら、今日の儀式次第ではいけるかどうかもわからぬものを・・ましてや、女のイツキを行かせるなど論外じゃ!」
長老は、ナミの突然の申し出に驚き反対した。話を聞いていたミコトや女たちも呆れてしまった。
その様子に、ナギが皆の前にひれ伏して、
「どうか・・・皆様・・話を最後までお聞き下さい。お願いします。」
必死に皆に頼み、今一度、皆はナミを囲んで座った。ナミは体を起こし、ほぼ正座に近い格好になって、まっすぐ皆を見るように姿勢を正した。
「私とイツキの母セツは、ウスキの村の生まれなのはご存知でしょう。」
「ああ、ナギがアスカケから戻る時、ウスキの村でお前を見初め、夫婦になるためにここへ来た時に、セツも供としてここへきたのじゃったな。」
長老が頷いて答えた。
「ええ、・・ウスキの村は、ここと同じく、隠れ里です。山深く、人の出入りの少ない静かな村でした。・・実は、あの村は・・・邪馬台国の王一族の村なのです。」
「なんじゃと・・邪馬台国の王?・・・じゃが、邪馬台国には、ちゃんと王が居るはずじゃが・・」
こんな時代でも、邪馬台国の名は皆知っていた。ナレの一族も、一時期は邪馬台国の庇護を受けていた。卑弥呼の力が強大であった時代には、渡来人たちは丁重に扱われ、村を持つ事も出来たのである。この村の先人たちも、邪馬台国を頼りにしてきたのだった。
「はい。卑弥呼様の時代には、豊かで穏やかで大きな国でした。大陸とも行き来していました。・・ですが・・・卑弥呼様がなくなった後、王の座を巡って争いが起きました。・・国の中がいくつかに割れ、時には大陸からの渡来人が、ある時は隣のアナト国の王が攻めたり・・・私たち王一族も、何度か命を狙われました。それで、正当な邪馬台国の王の血筋を守り続けるために、九重の山深くに隠れ住んだのです。」
ナギが続けて話した。
「私は、ウスキの村に立ち寄った時、村の長老より伺いました。・・ヒムカの王が代わり、兵を持って周囲の村々を服従させ始めた時でした。・・長老は、ウスキもいずれはヒムカの国に支配されるようになる、今のうちにより遠くへ姫を隠さねばならないと言われました。」
「ならば、ナミ、お前が卑弥呼様の血を継ぐものだと言うのか?」
長老が尋ねた。
「いえ・・邪馬台国の姫は、イツキの母セツ様です。セツ様をお守りするために、私がナギ様とともにこの村に参ったのです。・・ナギ様はその事を承知してこの村までお連れくださいました。」
「なぜ、今までその事を黙っておったのじゃ。」
長老が尋ねた。それには、ナギが答えた。
「邪馬台国の王の血筋のものがいるとの噂が伝われば、ヒムカの国や火の国・・いや、今の邪馬台国がここへ攻めて来る事も考え、ずっと秘密にしておくほうがよいと二人で決めたのです。」
ナミが、ナギの手を握って、皆に頭を下げるようにしながら言った。
「・・セツ様が亡くなったあと、しばらくは、イツキはナレの村の娘として静かに生きるほうが良いのだろうと思っておりました。王の血筋など絶えても良いのではないかと・・・・・。」
そこまで話を聞いていた巫女セイが口を開いた。
「カケルじゃな。・・・村の者もみな感じておるだろう。カケルは並みの人間にはない定めを背負っておるようじゃ。・・獣を友にし、古き書を読み、泉を見つけ、剣を作り、立派な体を持っておる。ワシも、あの剣の力を見るにつけ、カケルは、いずれ何か途轍もない事をするのではないかと思うのじゃ。・・・」
そう聞いて、ナミは涙ぐみながら答えた。
「はい、セイ様。・・・あの二人になら、乱れた邪馬台国を今一度豊かで穏やかな強き国にできる、・・・ウスキの一族の悲願を、あの二人なら叶えてくれるのではないかと思うのです。」
「だが・・道は険しく、遠いぞ。・・ヒムカの国も、アラヒコの話では以前よりもさらに兵を増やしていると聞く。今しばらくここに置き、カケルがアスカケから戻ってからでも良いのではないか?お前の身も、病で厳しい時なのだから・・。」
「カケルはきっとここへは戻らぬでしょう。それに、イツキにはもうこの話をしております。二人とも、アスカケに出る覚悟は出来ております。・・私の命はもう長くありません。ですから・・今、二人が旅立つ姿をこの目に焼き付けておきたいのです。」
ナミの命を削るような願いと決心を知り、村のものは何も言えなかった。
「わかった。もう何も言わぬ。・・・試しの儀式には、イツキも呼びなさい。」
長老はそう言って、儀式の最後の準備を始めた。

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-旅立ち‐7.試しの儀式 [アスカケ第1部 高千穂峰]

7.試しの儀式
「試しの儀式」が館の大広間で開かれた。
ミコトや女たちが、壁に沿って座り、広間の真ん中には、カケル・イツキ・エンが正座していた。巫女セイは、祭壇に向かって祈りの言葉をささげ続けている。銅鐸の静かに響き、巫女の祈りも止んだ。
5人のミコトが大きな面を被り、ゆっくりと現れ、3人の前に座った。五人のミコトは、水の神・地の神・火の神・風の神・山の神に扮している。
最初に口を開いたのは、火の神である。火の神には、エンの父が扮していた。
「子等よ、お前たちはわが身を生む術を知っておるか?」
三人はこくりと頷いた。
「ならば問う。火を作りしのち、何が大事か?」
三人は顔を見合わせた。エンが「絶やさぬようにする事」と答えた。イツキが「見守る事」と答えた。最後にカケルは、「風を見る事」と答えた。答えを聞いて、火の神に扮したミコトが考え、カケルに訊いた。
「カケルよ。何故、火を見ずに風を見るのだ?」
「はい、風は火と遊びます。強き風には火も暴れだします。火が暴れると手がつけられません。森を焼き、獣を焼き、命を奪います。だから、火を作る時には、風を見る事が大事です。」
その答えを聞いて、シシト扮する風の神が立ち上がって訊いた。
「風に何を教わるか答えよ!」
じっと考え込んで、エンが、「雨を教わります。風が重く吹く時には雨が近づきます。」と答えた。すると、カケルが、「季節を教わります。西からの風が吹けば、冬支度を始めます。東からの風が吹けば、春が来ます。田畑の支度をします。」と答えた。それを聞いていたイツキが、「父や母、ナレの村の様子を伺います。風のささやきには、遠いところの出来事がそっと聞こえるのです。」
次に立ち上がったのは、水の神であった。
大きな水の神はそれがアラヒコだとわかった。アラヒコは、何を聞くべきか考えきれず、少しおどおどしながら、「俺はどこに居る?」と訊いた。
三人はその聞き方が可笑しくて、イツキなどは噴き出してしまった。エンは、「みたりの御川に居る、泉に居る、西の谷に居る」と少しおどけるような言い方をしたので、「こら、ちゃんと考えるのだ!」と周りから怒られた。
水の神は、今一度問うた。「俺を見つけるにはどうする?」
カケルはじっと考えていた。そして、「森を見ます。」と答えた。その答えはアラヒコが思っていたものとは違っていた。そこで「何故、森を見る?」と訊いた。
「水は空から雨として落ちてきます。そして、山々に降った雨が地に浸みてやがて泉となり湧き出て、流れを作り、川となります。しかし、ただ降っただけの雨は水溜りとなりやがて消えてしまいます。湧き上る水は、豊かな木々が作り出してくれるのです。だから、豊かな水は豊かな森にあります。」
村の皆も見事な答えにおーっという声を上げたのだった。
次は、地の神だった。地の神には、カケルの父ナギが扮していた。地の神は、しばらく沈黙してから、「目の前に、森の獣が現れたらどうする?」と三人に訊いた。
エンが、「すぐに弓を構えます。」と答えた。「構えて如何する?」「向かってくるならば、射抜きます。」「射抜いてどうする。死んだ獣はどうなる?」と地の神が訊くと、エンは押し黙ってしまった。
「イツキ、お前はどうする?」
イツキは答えに困った。村に居る限りは、獣に出会う事などなかったからだ。そしてようやく出した答えは、「逃げます。」「どこへ逃げる?」「・・走って・・それから・・そうだ!木の上に登って逃げます。」「そうか・・。」
「カケルは如何する?」
カケルは二人の答えを聞きながらじっと考えていたが、
「身を隠します。そして、じっと獣の様子を探ります。」
「ほう・・何を探る?」
「獣は、人を襲う事など滅多にありません。手傷を負っていない限り、人を怖がり逃げ去るはずです。だから、様子をじっと伺い、向かってくる気配がなければじっと待ちます。」
「そうか・・ならば、怪我をし、正気を失って襲ってくれば如何する?」
「戦います。・・ですが、命を奪わず獣が怯めばすぐに逃げます。」
「そうか・・・よいか、地に生きるもの全てに命がある。むやみに奪ってはならぬぞ。エン、お前の弓の腕は本物だ。お前が狙いを定めれば確実に仕留める事ができよう。だが、むやみに使ってはならぬ。心せよ。イツキ、木の上に逃げるのは良かろう。木に登れぬ獣であればな。騒がず落ち着き獣を見よ。おのず如何すれば良いか判るはずだ。・・カケル、お前の言うとおり、獣は人を襲う事はない。だが、もしも襲ってきたら、全てをかけて戦うのだ。自らの命を守るためではない、供に旅をするエンやイツキを守るためなのだ。良いな。」

最後に、長老が扮した山の神が三人の前に立った。
「火も水も風も大地も、人々が生まれるよりずっと前からこの世にあった。人は万物に守られて生きておる。獣も魚も木も草も同様である。アスカケの最中、幾多の苦難に遭うであろうが、その時には、神々に問うのだ。如何にすれば良いかとな。神々はきっと答えてくれる。良いな。」
そう言うと、長老は面を外した。神々も面を外した。
「試しの儀式はこれで終いだ。・・アスカケは明日朝行くが良い。・・ただし、ひとつだけ約束がある。カケル、エン、お前たちは、イツキを伴ってウスキの村を目指すのだ。イツキを無事にウスキの村に届けた後、それぞれのアスカケに出ればよい。良いか?」
「はい。」

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タグ:勾玉 神

-旅立ち‐8.旅立ち [アスカケ第1部 高千穂峰]

8.旅立ち
儀式の後、三人には旅支度が渡された。
「エン、お前からだ。」
エンの父タカヒコがエンを呼んだ。
「お前には、まず、サチ(箭霊)だ。この日のために、村で一番の弓を作ってやった。受け取れ。」
タカヒコが持つ弓は、今まで使っていたものより一回り大きく太く立派なものだった。そして、「カケル、お前にもサチ(箭霊)を渡そう。八つの時、お前が作ったものだ。小さいかも知れぬが、お前はこのサチをいきなり干し肉を射抜いたのだ。エンのような大きなサチ(箭霊)はお前には危険だ。身を守るにはこれくらいが良い。」
次に、母ハルが前に出て、
「エン、お前は食いしん坊だからね。腹が減ると力がでない。これをもっていきなさい。」
そう言って、大きな麻袋を差し出した。中には、木の実や干し肉が詰まっていた。
「これは3人分なんだからね、お前だけで食べるんじゃないよ。」
次に、アラヒコが前に出た。
「おれも渡したいものがある。これだ。」
そう言って目の前に差し出したのは、筒状に丸めた鹿の皮のようだった。
「それぞれにひとつずつある。こいつを広げると体を包む事ができる。山の中は冷える、雨の日にも困る、こいつを使えば雨や寒さをしのげる。・・イツキのはちょっと綺麗な色の奴だ、女の子だからなあ。」
そう言って三人に手渡した。
最近、アスカケから戻ったばかりのケスキも居た。
「お・・俺からもひとつ。・・こいつは俺が使っていたんだが・・瑠璃の国で貰ったんだ。」
そう言って取り出したのは、小さな石だった。
「これはな、こうやって使うんだ。」
そう言って、石と石をぶつけるように打ち鳴らすと、火花が出た。
「枝を使って火を起こすより簡単だ。これをもって行ってくれ。」
そう言うと、小さな青く染まった布袋に入れて、イツキに手渡した。

巫女セイが立ち上がった。そして、長老とナギのほうを見て目で合図をした。
長老とナギは祭壇に向かい、祈りを奉げてからそっと祭壇の上に置かれた剣を持ち上げた。そして、ゆっくりとカケルの前に持ってきた。
「カケル、この剣を持っていきなさい。お前がこさえた剣じゃ。」
「ですが・・これは、この村の守り神にと・・」
「いや、前々から決めていたのだ。この地の全ての神の力が生み出したハガネから、お前が削りだした剣じゃ・・お前にしか使えぬはずじゃ。アスカケに持っていくが良い。」
カケルはそう言われても手が出せなかった。この剣を持つ資格が今の自分にないと思っていたのだった。その様子をナギが見て言った。
「これを柄に巻け。この荒縄には、わしとナミの黒髪が編みこんである。これを持ち手にするのだ。・・それから・・これが鞘だ。ナミがお前のために作った。さあ。」
そう言われ、カケルは荒縄と鞘を受け取り、躊躇いながらも剣に触れた。何か光が生まれたような輝きが館の中に広がった。言われたとおり、荒縄を持ち手に捲き、鞘に収めた。鞘には紐がついていた。カケルは、肩に紐を通し、剣を背負った。
「おお・・凛々しき勇者のようじゃな。」
長老がため息をつくように言った。
「お前の持っている小刀を、イツキに持たせておやり。」
カケルは懐から小刀を取り出すと、イツキに手渡した。
「わが身を守るためのものじゃ。大事にするのだぞ。」
長老に言われ、イツキはこくりと頷いた。
その時、ナギに支えられるように座っていたナミが言った。
「イツキに渡したいものが・・」
イツキは、ナミの傍に行き、体を支えるようにした。
ナミは、自らの首にかけていた飾りを外した。
「これを持っていって。・・・これは定めを示す首飾り。あなたを産んだセツ様からお預かりしていたの。ウスキに着いたら、これを見せて。あなたが誰なのか、皆わかるはずだから。」
そう言って、優しくイツキの首に掛けた。首飾りの先には、緑色の石で作られた勾玉が背をつけて二つ繋がっていた。イツキはじっとその首飾りを見てから、
「ありがとうございます。母やナミ様の願いを必ず果たせるよう誓います。」
イツキは強いまなざしをナミに向けてそう言った。
「よし、旅仕度も整ったな。・・では、旅立ちの宴としよう。・・・お前たちは櫓に上がるのだ。ほら、皆、宴の支度を!」
長老の掛け声で、皆、館を出てそれぞれの家に戻った。
ナミは、体調がすぐれぬからと言い、ナギとともに家に戻った。
夕日が沈む頃、村の真ん中に大きな篝火が焚かれ、銅鐸の音を合図に皆が集まってきた。ケスキの時と同様、高楼の上では、巫女の祈りが始まり、続いて長老の呼び声で宴が始められた。
村の皆が、それぞれにカケルやイツキ、エンに話しかけた。歌や踊りも始まり、皆、明日かけに出る若者を勇気付け、祝い、騒いだ。一度に三人もの若者が旅立つ事は珍しく、まして、女がアスカケに出る事は初めてで、皆イツキを心配したり勇気付けたり、夜遅くまで宴は続いた。

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タグ:火打石

-旅立ち‐9.離別 [アスカケ第1部 高千穂峰]

9.離別
夜が明けた。カケル、イツキ、エンは、村の入り口にある大門の前で旅支度を整えて並んでいた。見送りの村人たちが集まり始めた。ナギは、ナミを抱きかかえ、大門のところに来た。
「皆、集まったか。良いな、見送りの掟は判っておるな。」
長老はそういうと村人の顔を見た。村の皆は頷いた。見送りの時、涙を流さぬ事、声を出さぬ事が掟であった。
「若者たちもわかっておるな。・・良いか、この門を出たら、二度と振り返ってはならぬ。自らのアスカケを定めるまでは、この地を踏む事も許されぬ。良いな。」
三人も黙ったまま頷いた。
「よし、行くのじゃ!」
カケルとイツキは、ナミの姿をじっと見ていた。ナミはナギの手をそっと触り、降ろしてくれという合図を送った。ナミは大門の柱にもたれ掛かりながら、しっかり自分の足で立ち、二人を見つめ、笑顔を見せた。タカヒコとハルも、エンの姿をじっと見つめた、二人の弟も旅立つ兄を見つめていた。
三人は深くお辞儀をしてから、くるりと背を向けて歩き出した。
村の前には南へ続く坂道がある。三人は掟に従い、坂道を歩き始めた。
「うう・・」と小さな呻き声が漏れた。それに長老が気づき、「すぐに大門を閉めよ!」と叫んだ。三人の姿がまだほんの少し先にあるにも拘らず、大門が音を立てて閉まり始めた。

カケルもイツキもエンも、その音を背中で聞き、驚いたが決して振り返らないという掟を守りそのまま歩き続けた。
坂道を少し行くと、三つに分かれている。ここでようやく、エンが口を開き訊いた。
「どっちへ向かえば良い?」
カケルが答える。
「右へ行こう。・・少し寄り道だが、どうしても行っておきたい所があるんだ。」
「どこだい?」
「良いから・・行こう。」
カケルはそういうと、分かれ道を右手にとって進んだ。みたりの御川の脇を抜け、細い山道を上り下りして進んだ。途中でイツキが行き先に気づいたようだった。
何度も通った道、物心ついた頃から、いつもカケルの背中を追うように、一緒に歩いた道だった。

「さあ、着いた。・・アスカケに出る挨拶をしておかなくちゃな。さあ、イツキ。」
カケルはそういうとイツキの背を押した。着いたところは、西の川の二つ岩の向こう側、いつも二人で魚とりに来ていた淵だった。淵の土手には、大きなヤマモモの木があった。
「なんだい、ここ?」
「ここは、イツキの父様の樹があるんだよ。さあ、イツキ、ご挨拶をしておこう。」
ナギから、イツキの父様の樹と教えたれたヤマモモの木は、青々と茂っていた。イツキは木に駆け寄り、幹に抱きつき、そっと言った。
「父様・・行ってきます。・・母様とナミ様の故郷、そして私の定めの地、ウスキに向かいます。・・私たちをお守りください。」
幹は少し温かく、耳を押し当てていると何か声が聞こえるようだった。旅立ちの時、押し殺していた別れの淋しい気持ちが、徐々に胸の奥から湧いてきて、イツキは思わず涙をこぼしてしまった。その様子を見て、カケルもエンも同じ様に、幹にすがりつき、じっと村の事を、父・母の事を思い、涙をこぼしていた。青空高く、ハヤテが舞っていた。

「さあ、そろそろ行こう。」
カケルが、空を見上げながら言った。
「行こうって、ここからどうやってウスキに向かうのか判るのか?」
「ああ、だが、もう一つ、どうしても行きたいところがあるんだ。」
「どこに行くの?」
イツキも笑顔に戻って訊いた。
「・・俺が剣を作った時に見た幻の話はしたよな。」
「ああ・・確か、大男が現れたって・・」
「俺にはどうしてもあれが幻だとは思えないんだ。だから、それを確かめに行きたいんだ。」
「みたりの御川の水穴だったら、また村に戻る事になるぞ?」
「いや・・行くのはあそこさ!」
カケルはそういうと、手を高く掲げ、高千穂の峰を指差した。
「あそこって・・御山の天辺か?」
「ああ、あそこに行けばきっと幻だったかどうか判るはずだ。」
エンは少し戸惑っていた。自分とカケルだけなら、何とか登る事もできるだろう、だが、イツキを伴ってあの頂上に行けるのかと。その様子に、イツキが気づいた。
「うん、行ってみましょう。私も、御山の天辺から、下を見下ろしたらどんな景色なのか楽しみなの。ずっとずっと思っていた事だから。」
「だが・・お前の足で大丈夫か?」
「あら・・私が女だから登れないって?・・小さいときからずっとカケルの後を追ってきたのよ。大丈夫よ。さあ、行こう。・・・西の谷から森を抜けて行けばいいんでしょ?」
イツキはそう言うと、真っ先に歩き出した。カケルとエンは顔を見合わせた。
「まあいいか。行こう。」

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タグ:山桃の花

-旅立ち‐10.つむじ風 [アスカケ第1部 高千穂峰]

10.つむじ風
西の谷を川沿いをしばらく歩き、以前、薬草探しの際に、二人で身を寄せて夜を明かした滝つぼにたどり着いた。そこで一休みし、カケルは近くの藪から青竹を切り出し、三つほど、水筒を作り滝の清水を入れた。
そこから、山手に向かって、深い森を進んだ。深い森を見ると、エンは、弟が穴に落ちた事件を思い出し、兄として情けない思いにかられる。三人は、子どもの頃の思い出話をしながら、深い森を進んだ。
「おい!大丈夫なのか?」
「ああ、とにかく、登り続けるんだ。・・この森を抜けると御山の頂上が見えるはずだから。」
鬱蒼とした森が、まだまだ続いていた。

三人が村を出た時、小さな呻き声を出したナミは、大門が閉まると同時に、その場に倒れこんでしまった。カケルやイツキに、少しでも元気な笑顔を見せたいという思いで、ナミは、残る体力を振り絞って、大門の前に立っていたのだった。三人の姿が遠ざかるに連れ、ナミの意識が薄れていったのだった。ナギが慌てて抱き抱えて、急ぎ、家に戻った。
「ナミ、ナミ、しっかりしろ。」
ナギは何度も呼びかけた。だが、ナミの意識は戻らない。心配して、皆、家の入り口で入れ替わりで様子をみている。巫女セイは、館に戻り、祭壇の前で祈りを奉げていた。

ナミは混沌とした世界にいた。
手足を縛られ身動きできず、時折全身を襲う痛みと息も出来ないほどの圧迫感を感じているかと思うと、急に、開放され、この上ない穏やかな中に置かれる。
その繰り返しの中に置かれているうちに、徐々に、全てが溶けて、小さくなっていく感覚。・・おそらくもうすぐ死が来るのだと感じていた。
遠くに、ナギの呼ぶ声が聞こえる。応えようとするのだが、声が出ない。
ふと気づくと、足元にナギの姿があった。ナミ自身の体をナギは抱きかかえ、声を上げて泣いていた。・・体から魂が離れたのだとナミに判った。だが、なす術はなかった。

「ナミ、ナミ・・返事をしてくれ・・ナミ!」
家の外にいた長老が、ナギの叫び声を聞き、慌てて家の中に飛び込んだ。そして、ナギの横からナミの顔を見て、口元に手を当てた。
「・・ナギよ、ナミは・・・黄泉の国へ旅立ったようだ・・・もう苦しむ事もなかろう。休ませておやり・・・」

徐々に、ナミの魂は上昇する。屋根をすり抜けて、村の上にいた。高楼や館が小さく見える。自分の意思ではどうにもならなかった。村の人たちが、自分の家に集まってきているのが見えた。
しばらくすると、ものすごい勢いで、空高く登っていき、高千穂の峰へと向かった。深い森の上辺りに来た時、ふいに、カケルとイツキの存在を感じた。すると、急にナミの魂は森の中へ飛び込んでいく。カケルたちの通った後を追うように森の中を突き進んでいた。

三人は深い森の中で、出口を探して必死に歩いた。だが、先へ進むほどに、木々は厚く茂り、森は暗闇の中のようになっていく。みな、随分と疲れていた。カケルとエンは、イツキを気遣い、休みながら進む事にした。イツキが、泥濘に足を取られて転んだ。
「カケル、少し休もう。」
「ああ・・・」
水筒を取り出し、水を飲む。西の谷から森へ入ったばかりの頃は、鳥の鳴き声も聞こえ、日差しも入っていて、少しも不安を感じていなかったが、今は、どの方向を見ても暗い森が続くばかりで、鳥のさえずりさえも聞こえてこない。
「なあ、カケル、このまま進んで大丈夫なのか?」
「・・ああ・・とにかくずっと登り道で来ているんだ。御山に近づいているはずさ。・・それより・・イツキ、大丈夫か?歩けるか?」
そう問われて、イツキはしっかりカケルを見て、
「大丈夫。これくらい何ともないわ。」
そう言って、笑顔で答えた。
その時だった。急に、木の葉がざわざわし、木々の枝が揺れた。そして、強い風がカケルたちの来た麓のほうから一気に吹き込んできた。そして、カケルたちの周りでつむじを捲いたかと思うと、まっすぐ立ち上るように吹き上がった。
カケルたちは、突然の風に驚き、風の行方を目で追った。すると、風が抜けたところが、すっぽりと開いて、青空が見えた。
「あ・・、あそこ!。」
イツキが叫んで、指差した。カケルもエンもその方向を見ると、木々の枝の開いた隙間から、青空と供に、御山の姿が見えた。
「間違いない、御山だ。・・この先、すぐに森を抜けられるはずだ。行こう!」
少し足早に森の道を進んでいく。大きなぶなの木を過ぎると、一気に木々の背が低くなり、終に、背の高い草だけの野原を過ぎると、大きな岩だらけの赤茶けた場所に出た。

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-旅立ち‐11.頂上へ [アスカケ第1部 高千穂峰]

11.頂上へ
三人はその光景に絶句した。御山が、生き物が立ち入る事を拒んでいるかのように、荒涼とした風景が広がり、その遥か先に、高千穂の峰の頂が見えた。目に映る景色に圧倒された三人は、しばらく動けなかった。荒涼とした風景はこれまで見たことのない未知の世界に思われたのだった。
上空を見ると、ハヤテが風に乗って旋回していた。カケルはハヤテを見つけると、ハヤテが行かないのかと尋ねている様な気がした。
「よし、行こう。頂上まではそんなに遠くない。」
三人は、また歩き始めた。赤茶けた溶岩の塊の中を、できるだけ歩きやすいところを縫うようにして歩き続けた。森の中を歩いていた時は、周囲の木々や音に注意し、迷わないようまっすぐ歩いていたのだが、この溶岩原では、進んでも進んでも変わらぬ風景が続いていて、どれだけ進んだのかもわからず、時折、溶岩の上に見える高千穂の峰の頂上だけが頼りだった。
しばらく進むと、徐々に、溶岩は小さくなり、ごろ石程度に変わる。すると今度は、青い空が広がり、ぐるっと遠くの山々が連なっている景色に変わった。
麓では晴れ渡り、暖かな春の日財だったが、溶岩原を抜けた頃には、灰色の雲が広がり、ぐっと気温が下がってきた。三人は、アラヒコに貰った鹿皮を広げ身に纏った。風を防ぐだけでなく、寒さからも身を守れる優れものだった。
道なき道も、徐々に急な上り坂になったり、左右が切り立った細い尾根を歩いたり、吹き上げてくる風に煽られて姿勢を崩すと、奈落の底へ落ちそうな場所もあった。歩き続けて、ようやく、頂上と思しきところまで到達した。
「あそこがきっと頂上だ、あと少しだ。」
溶岩原からずっと無言のまま歩いていたカケルが、指差した。
イツキもエンもずっと足元を見ながら歩き続けていたが、その声に顔を上げた。
高千穂の峰の頂が、雲の中になんとか眺められる状態だった。
カケルは、突然走り出した。あの幻と思っていた風景の中にいる。あの頂上に、剣が刺さっているなら、きっと、あれは幻ではなかったと確信できる。そう考えると、疲れなど吹き飛び、駆け出したくなったのだった。走り出したカケルを追って、イツキもエンも同じように走り出した。
「ない・・なあ・・。」
カケルは頂上辺りの地面を見つめ、何かを探しているようだった。
「何を探してるの?」
イツキがカケルに訊いた。
「いや・・高千穂の峰には、昔、ニギ様が刺した剣があると聞いたんだけど・・・」
イツキも辺りを探してみた。頂上辺りにはこれと思えるものは無かった。諦めかけた時、エンが指差した。
「なあ・・あそこに・・何かあるぞ。」
そこには大きな岩があって、その下辺りに褐色の布のようなものがあった。三人は近づいてじっくり見た。それは、古い布だった。触ってみるとカケルたちが着ている衣服と同じ布のようだった。一部が岩に挟まっていて、岩をどけて何とか引っ張り出した。広げてみる。茶褐色になっているところは、血に染まったところのようだった。
「ねえ、これって・・」
「ああ、きっとナギ様の服だ。・・・」
「おい!カケル!これを・・」
エンが指差した先には、茶に錆びた大剣があった。
「・・ニギ様は・・・・言い伝えの通り、・・ここで山の神を宥める為、剣を刺し、命をささげられたんだ・・・。」
三人はその場に座り、剣と衣服を岩の上に置き、平伏して崇めた。その後に、カケルは、剣と衣服を頂上に持って行った。
「どうするの?」
「言い伝えどおり、ニギ様の剣を頂に刺すのさ。」
そう言って、カケルは頂上に立つと、天を仰いだ。
剣作りの際に現れた大男は、きっとニギ様に違いない。そして、自分は魂だけでこの高千穂の峰に昇ったのだと確信した。
カケルが、ニギの剣を天にかざすと、雲に覆われていた空の真ん中が割れて、一筋の光が差し込んできた。あたかも、頂上のカケルを天に導くかのように、光はカケルを照らした。
カケルは力を込めて剣を振り下ろし、頂上に着きたてた。その瞬間、空気が震え、雲が見る間に消えていく。
「何・・これ・・凄い!」
イツキが声を漏らした。
ぐるっと一回り、すべて、緑の山が広がっている。南のほうには山々が低くなり、遠くにきらめく光があった。東も西も低い山が続いている。北には、高千穂より高い山々が連なっていた。
カケルがじっと遠くを見つめて言った。
「ここから始まるんだよ。俺たちのアスカケ。・・・目指すのは、あの高い山々が連なる先だ。」
九重連山は高く、どこまでもどこまでも続いている。
一陣の風が、そっと三人を取り巻くように吹き、天に昇って行った。
「母様・・行ってきます。」
カケルが小さく呟いた。
「良し、行こうか。」
「ええ、行きましょう。」
ーーーー第2部へ続くーーーー
高千穂頂上.jpg
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